世の中には、資格というものをバカにして憚りない人が多いようです。
私の周りでは、特に、情報処理試験、TOEICに対する批判というのは、よく見られます。
「試験に合格したからといって、その分野の仕事ができるようになる訳ではな い」
「TOEICでハイスコア出したって、海外のコミュニケーションがてんでダメな やつは山ほどいる」
というような内容です。
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昨日、情報処理試験用に定義された疑似アセンブラ言語「CASL」のお話をしました。
この「CASL」は、実際には存在しないコンピュータ「COMET」上で動くので、こんなもん勉強しても、全く何も役にたたず、文句なし、完全無欠の時間の無駄使い、とも言えます。
しかしですね、私が、情報処理2級(当時の一番初級のクラスの試験)で、この「CASL」を勉強しなければ、、私は多分この世界(IT分野)で、飯を食っていなかったと思うのです。
なぜか。
コンピュータのアーキテクチャを理解する唯一の機会であったと断言できるからです。
例えば、
■CPUのレジスタAに"2"を入れます。
■CPUのレジスタBに"3"を入れます。
■CPUの演算装置に、レジスタAとレジスタBの内容を加算するように命令します。
■すると、CPUのレジスタCに"5"が入ります。
という、この仕組みを知ってから、私の「コンピュータ」というものへの観念が劇的に変化したからです。
―― なんだー、コンピュータって「バカ」なんだ
今なお、世界最速と言われているコンピュータと言われているものでも、この仕組み自体は変っていません。
滅茶苦茶な速度で、の2+3を繰り返すことができるだけです。
この「コンピュータは、結局のところ『バカ』」という「見下し」こそが、コンピュータに対する
■不適当な敬意
■無用な苦手感
をなくし、
―― コンピュータを使いこなせないのは、私の責任ではない。奴が「バカ」なのである
と言い切れると判った時から、コンピュータと私の対等な関係は始まったと思うのです。
という訳で、資格試験における「資格」そのものに価値がない、と考える人がいるのは、まあ妥当であるとしても、
資格試験における「勉強」に価値がないとまで考えるのは、多分、言い過ぎだろう、と思うのです。
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海外でも、3回質問して、聞き直せば分かるのであれば、別段困ることもないのであれば、TOEICのテストに意義を見い出すことはできないでしょう。
でも、TOEICなんぞでもなければ、語彙を増やす機会はなし、英会話を真面目に聞く 場面もないのも事実です。
TOEICはスコアが問題なのではありません。
受験すること自体に意義があるのです。
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―― とでも思わなければ、とても耐えられるのではありませんよ、実際のところ。
あんだけ勉強しても、勉強すればするほど、どんどんスコアが下がっていく現実と対峙して生きていくことは、本当にキツイです。
長女が、学校の理科の授業にディベートをすることになったそうで、私に質問をしてきました。
My daughter asked me about debate, because she has to do it during her science class in her school.
多分、「競技ディベート」のことだろうと思い、知っていることを教えました。
I think that the debate means "competitive debate", I told her my knowledge as follows.
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大学時代、私の友人の一人が、大学のESS(English Study Society, English Speaking Society)に所属しており、英語による競技ディベートを見たことがあります。
When I was a college students, my friend who belonged to ESS invited me to a convention of "English competitive debate" .
大変、エキサイエィングなゲームでした。
I remember that I was very excited to watch the game in English.
20年以上の前の話ですが、思い出しながら、簡単に説明します。
Let me explain about the game twenty years ago.
まず議論のテーゼが、事前(多分、2週間前以上前)に、両チームに与えられます。
Firstly the theme of the game is going to distribute to both teams before more more two weeks.
例えば、
For example, the theme
「日本政府は尖閣諸島の領有権を放棄すべきである」
"Govement of Japan(GOJ) should abandon the dominium of Senkaku-shotou islands"
というテーゼが与えられたとします。
would be given to both two teams.
そのテーマを与えられた2つのチーム(5人くらい?)は、これを肯定する理論(Conサイド)と、否定する理論(Proサイド)の両方の論理構築と、資料を作成します。
The two teams starts to make logics and materials for both affirmation(from Con side) and disaffirmation(Pro side).
(当時はA0の用紙に絵図がグラフを準備していましたが、今は、パワーポイントのプレゼンテーションで大丈夫だと思います。)
In those days, they were making presentation figures and graphs on A0 size paper. Now I think they might use PC presentation software.
実際のゲームで、Conサイドか、Proサイドになるのは直前まで分かりませんので、どちらの側になっても勝てるように準備をします。
Nobody knows which side will be assigned until the beginning of the game, so both two teams have to prepare for both Con and Pro thoroughly.
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競技ディベートで大切なことは3つあります。
Three important things in a competitive debate are follows.
(1)ルールがある
(1)There are some rules.
好き勝手に喋ってよいわけではありません。スピーチの順番や時間について規定があり、途中で相手の議論に野次を飛ばすようなことは許されません。資料の使い方にも制限があります。
Talking own way is prohibited. There is a provision for the time and order of speech. Any hooting is not allowed. There is a limit to the use of material.
(2)あなたの信念や信条はどうでもいい。
(2)No matter of your beliefs and creeds
例えば、「日本政府は尖閣諸島の領有権を放棄すべきである」に対して、あなたがどう考えているかは、まったく関係ありません。
According to the theme "Govement of Japan(GOJ) should abandon the dominium of Senkaku-shotou islands" for example, it is not relate to your beliefs and creeds.
相手サイドが仕掛けてくる論戦を予想し、それを覆すロジックを準備し、さらにその反論の反論までも想定しておくことが、このゲームに勝つためのポイントとなります。
In order to win the game, you should prospect logics of the opposing team, make your original logics and estimate the counter-logic too.
(3)ジャッジを説得するために議論を行う
(3)Discussion for the judge
対戦相手ではなく、第三者であるジャッジを説得します。ジャッジは、客観的な立場から両者の議論を判断し、勝敗を定めます。相手側を言いくるめるようなことをしても無意味で、客観的に説得力を持つ議論を用意しておかなければなりません。
You need to discuss your logic not for the opposite team but the judge. The judge would decide the winner from the objective viewpoints. So it is meaningless to overwhelm the opposite team for you, and you should prepare the objective sense of logics.
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つまり、
In short,
「日本政府は尖閣諸島の領有権を放棄すべきである」
about the theme "Govement of Japan(GOJ) should abandon the dominium of Senkaku-shotou islands"
というテーゼに対して、国籍、性別、職業、歴史、領土、宗教、信念に関係なく、相手側のチームを論破し、第三者(ジャッジ)に対して客観的に説得力を持つ
regardless of nationality, gender, occupation, history, region, religion and belief,
we have to prepare throughout for both
賛成
affirmation(from Con side)
と
反対
and disaffirmation(Pro side).
の徹底的な事前検討が必要になるのです。
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実は、私が米国に赴任していた時、日本人の同僚の息子さん(小学生)が、この「ディベート」の授業でずいぶん苦しんでいた、という話を聞いて、ゾッとした覚えがあります。
To tell you the truth, I was scared to hear the story.
When I had lived in Colorado USA. a son of my Japanese colleague felt pain about "the competitive debate class"
―― 小学生のうちから、ディベートの訓練が開始されている
Training of the debate is going to start from junior school period.
あるテーゼに対して、肯定・否定の両面から、徹底的に検証しロジックとして組み立てる訓練が施されている国が存在する。
I was very surprised that There is a nation that starts the debate training, that means the teachers give exercise to children to make logic both con and pro side simultaneously,
心底、震撼したのを覚えています。
I was shocked at the bottom of my heart.
(続く)
To be continued.
(Continuation from yesterday)
私たちは、英語に係る「ペラペラ」という形容詞(か副詞)に凄く弱いです。
We are longing for speaking English "pera-pera(fluency/fluent/fluently)" that might be adjective (or adverb).
「ペラペラ」は、確かにかっこいいようにも見えます
I agree that "Pera-pera" seems to be cool, absolutely.
ただ「ペラペラ」を実現するだけなら、昨日の「デタラメ英語」でも対応可能です。
Even if so, you can realize "Pera-pera" easily to use the deficient English, I told you yesterday,
なんたって、デタラメなのですから。
No matter what, it is deficient.
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しかし、私は仕事での「ペラペラ」は必ずしも必要ないと思います。
But I don't think that we need speaking English "pera-pera" on our work.
少くとも、私の仕事には「ペラペラ」は必要ないと思っています。
At least, my work doesn't need the "pera-pera"
ゆっくりと、ポツリポツリと英単語を並べるだけの英語は、理解しやすいですし、そして、そのような英会話は、
The English which is made by each word without grammar, and spoken slowly is understandable for me.
Above all, that is
―― 完璧な技術英語になっているから
"perfect technical English."
です。
無駄な形容詞がなく、無味乾燥な副詞が排除され、本質のみがゆっくりと語られる英語。
The English is no useless adjective, meaningless adverb, and provides us with the essence of conversation.
他の分野では知らないですが、私たちの技術の世界の人間にとっては、このような英語は、望まれています。
Though I don't know about the other field, for the person in technical field, like me, the English is hopeful,
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一度、この「ペラペラ」幻想から、離れてみるのもいいかもしれません。
You might forget this "Pera-pera" illusion, at least one.
先日、電車の中で一組の男女が話をしているのが耳に入ってきました。
The other day, a couple of men and women on the train is in a small talk.
「あいつは、意見はあるんだけど、それを言わないんだ」
"He has a certain opinion, but he doesn't say it."
―― ん ?
"What ?"
なぜ、「言わない意見」が「ある」ことを、この人は知っているのだろう?
"How does this man know the existence of this unknown opinion ?"
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まあ、このフレーズの意味は、
Well, the meaning of this phrase is
■あいつは、自分なりの見解を持っていて、私は、プライベートにその意見を聞いたことがある。
"He have his own views, and I have heard it in private"
■しかし、彼は、その意見を公(パブリック)、または特定の人種にははしゃべろうとはしない。
"However, he seldom open the opinion in public or persons"
と言うことなのでしょう。
うん、そういうことなら話は分かる。
Yeah, I can understand it under the above circumstance.
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自分の思っていることを、誰それ構わず、直接しゃべっているような社会人はいません。
There are no business persons who are talking directly about what they think
私だって、人によって意見を変えるし、時として真逆のことを平気でいいます。
I also change my opinion by the people, and sometimes I can say that of true reverse unabashedly .
といっても、それは、嘘をついている訳ではないのです(嘘をついているように見えますが)。
Even though, I do not mean that I am lying ( it might appear to have lied).
どんな事象も、つまるところ、一つのオブジェクトなのです。
Any event is also a object, after all.
そのオブジェクトはアングルを変えれば、無数の見え方や、見せ方があります。
There are countless appearance and fascination from the several angle.
だから、私達が誰かの話の中に矛盾しているように感じるようなことがあっても、その人が語っている事象は、常に矛盾なく存在する一つのオブジェクトなのです。
So, even if we like feel like a contradiction in someone's story, the event that the person is said is always one of the objects that exist without contradiction.
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だから、夏目漱石の小説「ぼっちゃん」に出てくる主人公って、
So, I think that a hero to come out to Soseki Natsume's novel "Botchan", is
―― 矯正不能の馬鹿だなぁ
"an idiot of correction inability"
って、思うんですよ。
Well, that's the reason the novel is fun for us.
(Continuation from yesterday)
しかし、「ブラック」を明みにさせる手段としての「自死」は、まったくコストに合いません。
However, suicide as a method to find a black company, is not worth the cost at all.
「自死」と見あうコストというのであれば、その相手を「死」に追い込まなければならないです。
I think "finding" is not enough. "Driving someone to their death" is worth the cost.
会社であれば「倒産」、人間であれは「自死」に追い込む程度にです。
Approximately, in case of company, it should be bankruptcy, In case of human being, it should be suicide.
しかし、「自死」の後では、それらの戦略を自分ではコントロールできません。
However, we cannot control the strategy after our suicide.
―― だって、死んでいるんだから
Because "we are dead, after all"
実際のところ、私は、
To tell you the truth, I don't know,
■従業員の「自死」によって「ブラック企業」と認定された会社が、倒産したというケースを知らないし、
- a black company that became bankruptcy because of suicide of the employee
■「いじめ」実施していた生徒や、それを看過していた教師が、自責の念で自死を選んだ、というケースも知りません(知らないだけかもしれないけど)。
- a student who bullied someone, and a teacher who pretended to not find the bully that selects suicide with remorse
(I might not know the above case)
それ以上に、そもそも「自死」を選ぶ人は、企業や環境を、糾弾し、改善したいなどとは、全く思っておらず、
Moreover, a person who selects suicide doesn't want to condemn the company and improve the working environment.
苦しみから逃げたい ―― その一心だけなのです。
Their hopes are simple. They just want to escape from their pains.
(To be continued)
(Continuation from yesterday)
ところで、今や自宅のパソコンで、日本の国民全員をオブジェクトとして取り扱える計算ができるようになってきているという事実は、多分、
By the way, a personal computer(PC) has enabled us to calculate behaviors of all people in Japan using virtual objects. I am afraid that
―― 人文系の学問の人達への大きなプレッシャーになっていくんだろうなぁ
"the face will increase the pressure for the person in human science field"
と思っています。
従来は、
Before it was enough that
● 仮説 -> データや自分なりのロジック -> 検証
My hypothesis -> objective data or my logic -> my validation
で十分だったもしれませんが、これからは
However, now, I think that they should add the following activities, and
● 仮説 -> データや自分なりのロジック -> 数値シミュレーション/数理モデル -> 検証
My hypothesis -> objective data or my logic -> numerical simulation or mathematical model -> my validation
数理アプローチを、避けて通ることができなくなるはずです。
they will not avoid mathematical processes.
文系の人こそが、プログラミングをして、シミュレータをサクサクと作る ―― そういう未来は、十分ありえます。
Researchers with majors in the school of humanities, should produce simulation programs in large quantities. It is realistic future, I think.
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という訳で、私信です。
Hereinafter, private communication from me
To:江端家の娘たちへ
to my daughters
●父は、プログラミングなら教えることはできると思います。
- Your father can teach programming to you.
●「古代呪術言語(C/C++)」以外でもなんとか対応しますので、必要なら相談して下さい。
- I am going to adjust to "Ancient spell language(C/C++), let's ask me an advice.
●実施するモチベーションや題材がないというのであれば、私が「外注」出します。
- If you don't have proper motivative example and problems, I will farm out to you.
●納期さえ守れば、ギャラも支払います。
- Before due date, I will pay for money.
●『世界は、この俺の手の中にある!』という感じは、日常では味わえない快感です。
The feeling that "the world is in this hand of me!" ss a pleasant sensation that I can not taste in daily life.
(Continuation from yesterday)
もっとも、「実質的に有用」なことをする、というのであれば、良いのです。
However, if the trial is "practically useful",it is no problem.
例えば、次女の受験の時には、予備校が試験会場前の塾の校舎を塾生に開放して、受験生達に「暖」を取らせていました。
For example, at the time of the exam of my junior daughter, the prep-school,which was nearby the exam venue, opened for the prep-school students who could warm themselves.
私の場合、明らかに乗る電車が分からずに困っている受験生(受験生かどうかは、出しているオーラで分かる)がいたら、どの駅に行きたいのかを尋ねて、乗るべき電車を教えて上げることにしています。
In my case, whenever a test takers, who loses themselves, is in the station ( I can find a test takers easily, by their aura), I will say something and tell them where to go.
実際のところ、小田原方面と、江ノ島方面の電車は分かりにく、実際に電車に乗ってから、行き先が確定する、という事故が多いです。
As a matter of fact, the train to Odawara direction and Enoshima direction is confusing, and there are many accidents that the destination will be determined after actually riding the train.
私は、これを『シュレーディンガーの相模大野駅』と呼んでいます。
I call this "Sagami Ono station of Schrodinger".
ともあれ、「実質的に有用」とは、こういうことを言うのです。
These are "practically useful".
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いずれにしても、
Anyway,
火事の炎の中で懸命の脱出を試みている私に対して、
To me who is trying hard escape in the fire.
安全で、安穏とした、居心地のいい場所から
From a safe, relaxing, cozy place
『がんばって下さいね』
"I hope you do your best"
などとだけ言うような奴は、
whoever is saying like that,
そこに善意があろうがなかろうが、
whether there is good intentions or not,
すべて私の敵です。
all are my enemies.
今回の実証実験では、学生さんの協力を頂きました。
In this filed experiment, the college students helped us.
大学当局からの正式なアルバイトですので、賃金が支払われています。
They are paid because the work was a official part-time job from university authorities.
業務内容は、「自動車を、私たちが開発した端末に表示された通りに運転して貰う」というものでした。
The task was to "drive the car as displayed on the terminal we developed."
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今回の学生さんとの共同作業で、私は、自分の学生のころを思い出しました、
In this collaboration with the students, I remembered my days of my student.
学生さんにとって「10時集合」とは、「10時集合」なんですよよね。
For students, "10 o'clock set" is "10 o'clock set".
久々に新鮮に感じました。
After a long time, I felt fresh.
私も、学生のころは、そうでしたし、それで何の問題もありませんでしたし、そもそも、学生さんたちは、間違ったことはしていません。
I was doing a same action and there was no problem. As same, the students at this time did nothing wrong.
しかし、社会人にとっては「10時"集合"」というのは、一般的に「10時"開始"」を意味します。
However, for adults, "10:00 set" generally means "10:00 start".
10時に「開始」する為には、10時に「集合」していては間に合わないからです。
To "start" at 10 o'clock, it's too late to "gather" at 10 o'clock.
ですので、「10分前行動」というのは、「ビジネスマナー」なんぞではありません。
Therefore, "to act five minutes before" is not "business manners".
「そのように行動しなければ、仕事が始められない」というだけのことなのです。
It just means, "if we don't do that, we won't be able to get started."
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それなら「ちゃんと10分前に集合する旨を伝えるべき」です。
Then I should "tell them that they will meet 10 minutes ago."
どう考えても、この件、学生さんの方に「非」はない。
No matter what I think, there is no problem for students in this matter.
私たち社会人は、そのやり方に「慣れて」しまっていて、そしてそれを「当然」のように思っています。
We're "accustomed" to it, and we take it "naturally".
正直、
Honestly,
―― 驕っている
"We are arrogant"
と思う。
I think.
まあ、実際のところ、10時ジャストに開始しなくてもよかったので、私は、そういう説明をしませんでした。
Well, in fact, I didn't want to start just at 10 o'clock, so I didn't explain that.
実際、別段困りませんでした。
In fact, I wasn't bothered.
ただ、単に、なんというか「新鮮」だった、ということです。
It simply means that it was "fresh".
もし、今回の件(「10時集合」の件)についてに問題が発生したとしたら、最初きちんと説明しなったら私が、100%悪いのです。
If I had a problem with this (the "10 o'clock set"), if I didn't explain it first, I would be 100% bad.
という原則と正論を述べた上で、これから社会人になる学生さん ―― というか、現在、就職活動中の私の長女 ―― に向けて、いくつかアドバイスをします。
After stating the principle and correct argument, I will give some advices for students who will be working job hunting. Especially, my eldest daughter who is currently looking for a job.
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私たち社会人の世界の話ですが、
In the world of working people,
「10時集合」で「10時01分」に到着した場合、ビジネス的にはかなりの減点です。
If you arrive at "10:01" at "10 o'clock set", it is a considerable penalty for you as a business person.
これを2回連続すれば心象は最悪。
If this is done twice in a row, the image of the people concerned is the worst.
3回連続すれば、もう仕事に呼ばれることはないでしょう。
If you do it three times in a row, you won't be called to work anymore.
この話を、就活説明会や面接に適用すると、「1分」の遅刻は「1時間」の遅刻と同義です。
Applying this story to a job hunting briefing or interview, "1 minute" lateness is the same as "1 hour" lateness.
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さらに、もっと怖いことは、「社会人は、そういうことを、いちいち学生さんに『注意しません』」
What's even more scary is, "busuness persons don't pay attention to students."
時間を守らなかった学生さんを、理由も説明せず、黙って、ニッコリ笑いながら『バッサリ切り捨てます』。
To students who cannot keep the time, we don't explain the reason and we throw them away with a smile.
説明会で時間ギリギリにやって来て、会場の後ろの方で立っている学生さんも、同様です。
To student who come to the last minute of the briefing and stand behind the venue, we also throw them away.
社会人にとって、人を選ばなければならない時、たった1回の面接で、その人の能力や努力を評価するのは、とても難しいのです―― ほとんど「ギャンブル」といってもいいくらいです。
When we have to choose a person, it is very difficult to assess a person's abilities and efforts in a single interview. It's almost like "gambling".
ところが、「時間」のような定量的なものさしで、人を切り捨てるのは、とっても「ラク」なことなのです。
However, it is very easy to discard a person with a quantitative measure such as "time".
社会人には、「時間を守らない人間」を保護する理由が、1mmもないのです。
Busuness persons have no reason to protect "students who do not keep time".
そして、入社後に、「時間は守らなければならない」などという、小学生の教師の説教のようなもことも、したくないのです。
And after joining the company, we don't want to do things like preaching by elementary school teachers, such as "we have to keep my time."
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少くとも、この私は、学生さんたちに対して、
At least, I don't want to have a special feeling
『社会のルールを教えなければならない』
"I have to teach students the rules of society."
などという殊勝な気持ちは、全く持ち合せておりません。
そもそも、私自身、他人にルールを語れるような資格(人格も人徳もリーダーシップ)もありません。
In the first place, I myself do not have the qualifications (personality, morals, leadership) that can tell the rules to others.
私は、単に、『面倒くさいのはゴメンだぜ』と思っているだけで ―― そんでもって、大抵の社会人も同じこと思っています。
I just think, "I'm sorry for the trouble." and most business persons think the same way.
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学生の皆さんに、一言言えるとすれば、
In a word,
『優しそうに振る舞う社会人には、十分気をつけろ』
"Take care of people who behave kindly"
ということです。
I read "Economists on the Outbreak of War between Japan and the United States"
新潮選書は、私には結構辛い本でしたが、毎日1時間歩きながら、4日で読了しました。
The Shinchosensho was quite a hard book for me to read, but I finished it in four days, walking an hour every day.
この本の売りは、
In this book,
(1)圧倒的に不利な国力差(日米の国力比 1:20~50)にあって、
(1) In the face of an overwhelming disadvantageous power gap (Japan-U.S. power ratio: 1:20-50)
(2)上記(1)の情報は、秘密情報どころか、権力者のみならず国民至るまで広く開示されていて、
(2) The information in (1) above is not secret information, but is widely disclosed not only to those in power, but also to the public.
(3)戦争開始前に「日本必敗」というシミュレーションが完璧に完了していて、
(3) Before the start of the war, the simulation of "Japan's inevitable defeat" was completed perfectly, and
(4)内閣、政府、軍部に至るまで、ほぼその現実を理解していた
(4) The cabinet, the government, and even the military were almost all aware of this reality.
という状況下において ―― というか、むしろ『その(1)~(4)の条件が揃っていたからこそ』日本が太平洋戦争に突入した
even under the circumstances of (1)~(4), rather because of the circumstances, Japan's entry into the Pacific War.
という事実を、行動経済学の観点から解き明かすという本です。
This is a book that clarifies this fact from the perspective of behavioral economics.
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色々な読み方があると思ったのですが、私の最大の感想は一つ
I thought there were many ways to read it, but my biggest thought was,
―― 戦争に突入した原因は、軍部や政府ではなく、むしろ『数字を読めない/読もうとしなかった国民」の側にあった
"The cause of the war was not the military or the government, but rather the people who could not or would not read the numbers"
ということです。
著者の分析によれば、「弱腰で意志決定ができない政府」「無能で粗野な陸軍」というのは、かなり虚飾が入っているようです。
According to the author's analysis, "a government that is weak and incapable of decision-making" and "an incompetent and crude army" are quite fanciful.
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で、この本を読みがら「もし私が権力者だったとして、この局面をひっくり返して、戦争回避ができただろうか?」と考えていたのですが ――
And as I read this book, I was thinking, "If I were in power, could I have turned this around and averted war?
『絶望的に不可能だ』と確信してしまいました。
However, I became convinced that it was hopelessly impossible.
In particular, I thought that prospect theory was too strong.
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■選択A : 開戦しなければ、3年後に米英の経済封鎖により、日本は屈服する
Option A : If the war does not start, Japan will be brought to its knees by the economic blockade of the U.S. and Britain in three years.
■選択B : 開戦すればほぼ間違いなく敗戦する。但し、
Option B : If the war starts, we will almost certainly lose. However,
(1)もし、ドイツがソ連に勝利し、
(1) If Germany defeats the Soviet Union and
(2)もし、ドイツがイギリス上陸に成功し、
(2) If the Germans succeed in landing in England, and
(3)もし、日本が東南アジアの資源を獲得しその輸送ルートを確立し、
(3) If Japan acquires the resources of Southeast Asia, establishes transportation routes, and
(4)もし、イギリスがドイツに降伏したら、
(4) If the British surrender to the Germans
その時、米国は交戦意欲を失って講話に応じるかもしれない。
At that time, the U.S. may lose its will to engage in war and accept a peace treaty.
という、4つの"if"と、1つの"might"であったとしても、(どう考えても、限りなくゼロに近い可能性ですが)、行動経済学のプロスペクト理論によれば、"選択A" < "選択B" になるのです。
Even if there are four "ifs" and one "might" (which is a near-zero possibility by any measure), according to the prospect theory of behavioral economics, "choice A" < "choice B".
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著者に因れば、この状況を回避する方法があるとすれば
According to the author, if there is a way to avoid this situation, it is
(1)我が国に「戦争回避を主張する独裁者」が現われる
(1) A "dictator who insists on avoiding war" will appear in our country.
(2)選択Aを選んで、3年間のどこかで、局面が変わるのを「無策」で待つ
(2) Choose option A and wait for the situation to change somewhere in the next three years with "no action".
という手しかなかったという総括が、心に響きました。
The author's summation, "These would have been the only two ways," resonated with me.
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『太平洋戦争と同じような状況になれば、歴史の教訓があろうがなかろうが、私たちは再び開戦してしまう』
"If we find ourselves in a situation similar to the Pacific War, we will start the war again, regardless of the lessons of history"
と確信させる、なかなかいい感じの「絶望」を与えてくれる一冊でした。
It was a book that gave me a pretty good sense of "desperation".
私、長い間、犬山城と稲葉城を同じものと思っていました。
For a long time, I thought that Inuyama Castle and Inaba Castle were the same thing.
I was so embarrassed to think that I was being "laughed out of the room" by the tourists around me, when I was explaining the history of Inuyama Castle to my family in a pompous manner.
というか、何か変だと思ったんですよね。
I thought there was something strange about it.
―― 難攻不落の稲葉城に、なぜ、5分の徒歩で登れるんだ? と。
"How is it possible to climb the impregnable Inaba Castle in five minutes on foot?"
で、帰宅してから、GoogleMapで調べてみたら、稲葉城は金華山ロープーウェイの方にありました。
So, when I got home, I looked it up on Google Maps and found that Inaba Castle was located at the Kinkasan ropeway.
次回は、稲葉城の方に行ってみようと思います。
Next time, I will try to visit Inaba Castle.
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今回、犬山城の城下町で、「犬山山車からくり」の博物館(多分『収納』も兼ねていると思う)を見てきたのですが、その壮麗な山車に、圧倒されましたが、その一方、
This time, in the castle town of Inuyama Castle, I visited the "Inuyama Karakuri" museum (which I think also serves as "storage"), and was overwhelmed by the magnificent floats, but on the other hand
―― こういう「山車を練り出す祭」って、どうやって維持しているんだろう
"I wonder how these "festivals with parading floats" are maintained"
と、疑問を持ちました。
まあ、身も蓋もなく、一言で言えば、「祭のビジネスモデル&キャッシュフロー」って、どうなっているんだろう、ということです。
Well, to put it bluntly, in a nutshell, what is the "business model & cash flow of the festival"?
祭には、地域復興、共同体意識の創成、地産地消、観光資源、などの効果があるのは分かります。
I understand that festivals have effects such as community recovery, creation of a sense of community, local production for local consumption, and tourism resources.
また、日本国内の祭の経済効果は、1.4兆円という試算もあるようです(ちょっと盛っていないか?と思うところもありますが)。
The economic impact of the festival in Japan is estimated to be 1.4 trillion yen (although I think this is a bit exaggerated).
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ただ、私なら『山車を押せ』とか言われたら、仮病になるか、出張を作るか、旅行に行って、逃げてしまう思うんですよ。
But if I were asked to push a float, I think I would either take a furlough, make a business trip, or go on a trip and run away.
そもそも、私、祭に思い入れがありませんから。
In the first place, I don't have any attachment to the festival.
観客としてならともかく、主催者/実施者になるのは、正直、遠慮したいです。
To be honest, I'd rather not be an organizer/implementer than a spectator.
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という話を嫁さんにしていたら、「祭をビジネスモデルで理解するのは無理じゃないないか」と言われました。
When I was talking about this to my wife, she said, "Isn't it impossible to understand the festival as a business model?"
嫁さんの話では、福岡では、祭の準備を理由に学校を休むことが、公式に認められているそうですし(今は知りませんが)、
According to my wife, in Fukuoka, it is officially allowed to take a day off from school to prepare for the festival (I don't know about that now).
コミック「ローカル女子の遠吠え」では、浜松市民が一体となって祭に取り組む姿が、頻繁に描かれています(実体がどうはか知りませんが)。
In the comic "Howl of a Local Girl," the citizens of Hamamatsu are frequently portrayed as working together to celebrate the festival (although I don't know about the substance).
今は、コロナ禍の中ですので、祭の自粛が続いています。特に「はだか祭」などは、論外でしょうが ―― それでも、
We are currently in the midst of the Corona disaster, so there is a lot of self-restraint on festivals. In particular, the "Hadaka Festival" is out of the question, however,
「はだか祭」に、あれだけの参加者を動員できるシステムは、正直、私には『驚愕』です。
To be honest, I was astonished at the system that was able to mobilize so many participants for the "Hadaka Festival.
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『人間心理(のネガティブな方)を、社会システムの動力源にする』をテーマに研究している私としては、『祭』という「人間駆動型エンジン」は、興味深い研究対象です。
As a researcher on the theme of "using human psychology (the negative side) as a power source for social systems," the "human-driven engine" called "festivals" is an interesting subject of study for me.
そして、研究とは、自ら実践して、理解するものです。
And research is something that we understand by practicing it ourselves.
個人としての私は、例えば「はだか祭」に参加するなど絶対にごめんですが、研究員としての私は、そのエネルギー源を解明したいという気持ちはあります。
As an individual, I definitely don't want to participate in the "Hadaka Festival," for example, but as a researcher, I do want to figure out the source of its energy.
まあ、参加させて貰えるとも思えませんが ―― 「怪我するだけだから、止めてくれ」と言われるのがオチです。
Well, I don't even think they'll let me participate -- they'll just say, "Don't do it, you'll get hurt.
私が床屋に行くタイミングは ―― 「頭髪がうっとうしく感じた時」の一択です。
The only time I go to the barber is -- "when I feel my head of hair is annoying".
「容姿を気にする」というフェーズは、とうの昔に終っています。
The phase of "caring about appearance" has long since ended.
今の私の頭髪基準は『社会人として許される限界まで短く』です。
My current hair style standard is 'short to the limit allowed for working people'.
目的は、頭髪時間とコストの削減です。
The objective is to reduce headcount time and costs.
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『なるべく短く。髪の毛が逆立ってもOK。できるだけ髪を軽くするために梳いて』
"Keep it as short as possible. Combed as much as possible"
と、10年近く言い続けてきたのですが、私の希望するドンピシャの短髪にしてくれる理容師さんが少ない。
I have been saying this for almost 10 years, but there are not many barbers who can give me the don't-short hair I want.
特に女性の理容師さんは、『バッサリとやって欲しい』という私のニーズと合わないことが多いようです。
Especially female barbers often don't seem to match my need for a 'buzz off'.
これは、理髪に関する男女の価値観の相違 ―― ではなく、「理髪に1mmも価値を持たない人間」を相手にしなけばならない、女性理容師さんとのミスマッチと言うべきかもしれません。
This is not a difference in values between men and women regarding barbering, but rather a mismatch with female barbers who have to deal with "people who do not value barbering even a millimeter".
『自分のことは自分で』が正論ですが、残念ながら、理髪と病気の2つは、自己実施が難しいのです。
The correct answer is 'take care of yourself,' but unfortunately, hairdressing and illness are two of the most difficult things to self-implement.
そんなわけで、ここ数年は、「スポーツ刈り」というものを選んできました。
That is why I have chosen to use "crew cut" for the past few years.
しかし、その「スポーツ刈り」ですら、私が選ばなければならないパラメタがいくつもあるのです。
But even that "crew cut" has a number of parameters that I have to choose from.
例えば、「もみあげ」「かりあげ」「トップ」「サイド」「襟足」など、うっとうしいことこの上もありません。
For example, "fir," "kariage," "top," "side," "collar," etc., are nothing short of annoying.
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今になって思えば ―― 『目の前にあることにすら、全く気がつななかった』 ―― と感じです。
Looking back on it now, I feel like, "I didn't even notice what was right in front of me".
あるじゃないですか。リクエストパラメータ"ゼロ"の、究極の、そして、私と理容師さん両方にとってのWin-Winの最高のヘアースタイルが。
There is, isn't there? The ultimate, best hair style with "zero" request parameters, and a win-win situation for both me and the barber.
―― 丸刈り
It is "buzz cut".
です。
いや、早かった。
It was quick.
あっという間に終わりました。
It was over in a matter of minutes.
駅ナカの理容室で、作業時間は4分間でした。
The work took 4 minutes at the station barber shop.
理容師さんには、鏡を見せられて『これでいいですか?』と言われましたが、「丸刈り」のリカバリーって、可能なのでしょうか?
The barber showed me a mirror and said, 'Is this okay?' but is it possible to recover a "buzz cut"?
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という訳で、本日、私、40年ぶりくらいに「丸刈り」にしてきました。
So, today, for the first time in about 40 years, I have had a "buzz cut".
家族がギョっとしないように、理髪直後に家族SNSで写真を送っておいたのですが、嫁さんは、写真を見ていなかったようで ―― 言葉を失っていました。
I had sent a picture of it on the family social networking site right after the haircut so that the family wouldn't be giddy, but the wife didn't see the picture -- she was speechless.
嫁さん:「それ、気にいっているの?」
Wife: "Do you like that?"
江端:「うむ、これで半年近くは理髪にいかなくて良いかと思うと、嬉しい」
Ebata: "Well, I'm glad I won't have to go to the barber for almost six months now.
嫁さん:「ずっと『丸刈り』を続けるという訳ではないんだ。安心したよ」
Wife: "You are not going to keep the 'buzz cut' . That's a relief."
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ちなみに、私、「丸刈り」については、中学生のころ、(生徒会会長の職権を使った)全校を巻き込むような事件を起こしかけたことがあります。
Incidentally, as for "buzz cut", when I was in junior high school, I almost caused an incident (using my authority as president of the student council) that would have involved the entire school.
私の動向を察知した生徒会顧問の教諭に、直前に阻止されましたが ―― 今も、忸怩たる悔悟の思いです。
The advisor of the student council, who was aware of my movements, stopped me just before I left. Even now, I still feel ashamed and regretful.
後日、この話をしたいと思います。
I would like to discuss this later.
日経平均株価が、バブル期の最高値を越えたそうです。
The Nikkei Stock Average has exceeded its highest level during the bubble period.
私、バブル期には学生でしたので『バブルで踊る』ことはなかったですが、その後、一方的に『バブルに殴られ続けた』と思っています。
As a student during the bubble period, I never 'danced in the bubble,' but then I think I was one-sidedly 'kept getting hit by the bubble.'
もちろん、バブル景気は、政府や証券会社だけが責められるものではありませんが、それでも、
Of course, the government and securities firms are not the only ones to blame for the bubble economy, but still,
―― 証券会社の社員が、くす玉割って、オフィスで拍手をしているニュースを見ると、非常にムカムカします。
"I get very ticked off when I see news of securities firm employees breaking the decorative paper ball and clapping in their offices."
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逆だろう。
It would be the opposite.
今日は、終戦記念日(8月15日)正午や、広島、長崎の原爆記念式典の原爆投下時間に、私たちが厳粛な気持ちになるのと同じような、そんな思いに馳せる日ではないのか?
Isn't today the day that should give us that same solemn feeling we have at noon on the anniversary of the end of the war (August 15) and at the time of the atomic bombing of Hiroshima and Nagasaki?
証券会社のロビーに、『二度と過ちは繰り返しません』という碑文を立てて、そこで、社員一同で『黙祷』するくらいのことをやって欲しいと思う。
I would like to see an inscription in the lobbies of securities firms that reads, "We will never repeat our mistake," I would like all employees to join in a "silent prayer" there.
賛同者はいませんか。
Are there any supporters?
まあ、いないでしょうね。
Well, they won't be there.
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ちなみに、原爆死没者慰霊碑の碑文には論争があります。
Incidentally, there is controversy over the inscription on the Cenotaph for the Atomic Bomb Victims.
ちなみに私は『二度と(あいつらに)過ちは繰り返させません』派です。
By the way, I am of the "I won't let them repeat their mistake" school of thought.