今回の震災で、2万人以上の人が亡くなり、または行方不明です。
この未曾有の大災害は、実質1時間も満たない僅かな時間で、これだけの人の命を奪いました。
正に、「言葉もない」とはこのことだと思います。
自然の脅威に、なすすべもないという無力感にうちひしがれる思いですが、私は「天を恨まず」などと、悟ったような事は言いません。
私は、『必ずや、お前(自然の脅威)を、人知によって捻じ伏せてくれる』と、天に唾吐く者の一人でありたい、と思っています。
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しかし、この機を逃してはならないと思うのです。
数値のデータではない、ほんの少しまで身近に確かに生きていた人達に想いを馳せて、今こそ考える時です。
■東京大空襲 10万人が死亡
■広島原爆 20万人が死亡
■長崎原爆 14万人が死亡
これだけの人間を一瞬で殺害した「戦争」とは、一体何だったのか。
太平洋戦争で、非戦闘員である民間人が総計80万人死亡しました。
それは、あの「地震と津波」を、40回も発生させるような地獄であったはずです。
230万人の軍人の死亡者も含めれば、150回以上。
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戦後、
『私たちのもっとも愛する肉親の生命を一片の砲弾、一セキの銃弾にやすやすと交換した』
と演説した(記録映画「東京裁判」)岩本アキ子さんの言葉を魂で理解し、
人間のなせる業に心底から恐怖する時です。
私が嫁さんにプロポーズした後、結婚に至るまで、あまり大きな障害はなかったです。
でも、「小さい障害」は、いくつかありました。
例えば、 私の結婚を断念させる為の合宿とか。
「大きな障害」というのは、この場合、嫁さんのご両親の承諾を頂くということですが、こっちは結構すんなり行きました。
私は学生時代、 「ささやかに過激」でしたので、ちょっと気にしていました。
結果としては、全く問題なく結婚を許して頂きましたが。
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私の場合、いくつかのラッキーな要素が重なりあって、結婚に至れたのですが、その中でも特に、お義父さんの判断基準となったのが、「私の就職先(大手総合電機メーカ)」だったこと、だそうです。
―― ふーん、そういうものなのかなあ
「私」でなく「私の属性」で判断するということに、なんとなく違和感を感じていたのですが、まあ、「私の両親の世代の価値観」って、そういうものかもしれないな」と思っていました。
そして、今。
私は、この考え方が、「世代の価値観」ではなく「普遍的な真理」であることを知っています。
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いいですか、この私が、
曲りなりにも、大学の政治色の強い自治寮の寮長を努めた(途中で逃げ出しましたが)、この江端智一がですよ、
私の二人の娘達の結婚相手が、
『警察官か自衛隊員がいいな』
と考えるに至っているくらいなのです。
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この不確実性の時代にあって、「学歴」や「経済的な安定」なんぞでは、全然足りない。
強烈かつ理不尽な組織の理論でがんじがらめになり、自由を制限され、行動を規制されるような男が、娘たちの結婚相手であって欲しい。
そう、思うくらいに、私は保守的になっているのです。
もちろん、「売れない場末の芸人」なら、絶対に家から叩き出す。
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娘のつきあっている男の「人となり」を判断するのは、大変な上に面倒です。そもそも、そのような判断をするには、長時間に渡る、粘り強い付き合いが必要です。
しかし、私は、家族全員から「人間嫌い」と認定されている者です。人間を観察し、判断するのは、正直面倒なのです。
そんな私の、てっとり早い判断基準は「ブランド」です。信用が化体したブランドを選択する方が、簡単で楽チンです。
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昔、同期の仲間で飲んでいた時、「結局、私は私自身でなく、私の属性のお陰で結婚に至れたんだろうなー」とつぶやいた時、
私の同僚の一人は、私を汚いものを見るようにして、「そんなものは『真の愛』ではない」と吐き捨てるように言いました。
確かにそうなのかもしれません。結果として「属性」を利用した私は「汚ない」のかもしれません。
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この話は、上記の結論で閉じて良いのですが、一つ付け加えることがあるとすれば、彼は未だに独身ということでしょうか。
「真の愛」を求めて続けている(のかもしれない)彼を、今でも、私は、心の底から応援しています。
以前、「人に対して脅威を与えない」ような髪型という日記を書きました。
Previously, I wrote a diary "Hair style not to give a threat".
GWの初日、私は「スポーツ刈り」をお願いしていました。
At the first day of this Golden week, I have asked a barber for "Buzz-cut".
なぜか。
Why?
1000円理髪店で、女性の理髪師の方に当ってしまったからです。
I met a women barber at the barber shop of one thousand yen.
差別的ではなく(しかし逆差別的かもしれませんが)、女性の人の理髪は、『丁寧すぎる』のです。
I am sorry but I don't like cutting by women's barber without discrimination (but might be reverse discrimination).
I think that their skills are too polite.
「暑い」「痒い」「うっとうしい」「本が読みにくい」という理由だけで理髪をする私の気持ちは、女性の理容師さんには理解できないようです(分かります)。
They seem not to understand my reasons why I want have my hair cut.
There are "Hot", "Itchy", "Sullen" and "hard to read books".
「短くしてくれ」という要求に対して、チマチマと切らていれると、私の忍耐の方が切れてくるので、一言
When I asked her to have my hair cut just short, she tries it carefully and I don't put up with the process.
So I said,
―― スポーツ刈りで、
"Buzz-cut", please
と。
しかし、このスポーツ刈りですら、チマチマとキレイに揃えようとされるので、驚いてしまいました。
However she tried to do her best about "Buzz-cut", I was really surprised at her action.
分っています。悪いのは私です。
I know that I am wrong.
「理髪の外観なんぞ本当にどーでもいい」と言い切る人間は、女性は絶無、男性だって皆無だと、知っています。
Most women and men should care their hair cut, and I know I am a stranger.
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で、スポーツ刈りの江端さんは、結構、凄いんですよ。油断して、鏡の前に立つと、自分がビビってしまうくらい、恐ろしい様相なのです。
Mr.Ebata whose hair style is "Buzz-cut" is terrifying appearance. Off guard, when I stand in front of a mirror, I was surprised at my scary face.
下校時の高校生達の群れが、私の目の前でキレイに2つに割れるので、
I could divide bunch of school students leaving school into two walls, so I thought
―― おお、モーゼの十戒だ
"Oh, it's the Ten Commandments of Moses"
と思いながら、楽しく歩いているところまではよかったのですが、先日、仕事で支障がでました。
However it was O.K. until I was enjoying, the other day, I was in trouble by my hair style.
社外の人と御会いするイベントが2つあったのですが、その方々が、私を認識できませんでした。挨拶しても、ポカンとされていました。
At the day, I had two events to meet outside's persons, and they could not recognize me at all. If I said hello, they seemed to be pow.
私は本当にどーでも良いのですが、仕事に支障があるとなると、やっぱりこの頭髪はマズいかなぁ、と思いはじめています。
Thought I don't care my hair style at all, this hair style might be wrong for my business.
我が家のホームサーバが、秋葉原で拾ってきた、怪しげなドイツ製のノートPCであることは、何度かお話しました。
I wrote several times that the home server of my home was a notebook PC made in doubtful Germany which I picked up in Akihabara.
今はホームセキュリティサーバの他に、ビデオサーバと、プリンタサーバも担当して貰っているのですが、メンテナンスは諦めています。
The PC works as not only home security server, but video server and printer server, but I have already given up the maintenance now.
とにかく、重くて遅い。
Anyway, the response is heavy and slow.
アイコンやメニューの反応が、10秒から1分もかかればもかかれば、何もする気もなくなります。
The reaction of an icon and the menu needs for ten second to one minute, so I come to not want to do anything.
Well, I tried to make a light-weight Mail Agent with a slightly feeling on the server this afternoon.
早々に、ローカルのマシンでの稼働に成功したので、それをサーバに移行すれば完了 ―― と思っていたんですよ。
I succeeded in the operation with the local machine, so I thought I was going to complete the work when I shifted it to the server.
―― これが間違いだった。
"This was a mistake."
(To be continued)
私は、宝くじや馬券を買いません。当たらないからです。
I do not buy a lottery and betting. Because I don't win.
買わないなら、当たらないのは当然とも言えます。
I don't buy them, so it is natural that I don't win.
私は、滅多にゲームもしません。勝てないからです。
I do not even rarely game. Because I don't win.
ゲームをしなければ、勝つことができないのは当然とも言えます。
I don't try them, so it is natural that I don't win.
つまり、ギャンブルやゲームは、勝ち負けという「結果」ではなく、その勝負の「プロセス」を楽しむことができる『余裕』が必要なのです。
In other words, in order to enjoy gambling and game, we need "peace of mind" to enjoy the precess of them.
そして、私には、その『余裕』がないのです。
And I don't have the "peace of mind".
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ところが、私の場合、宝くじや馬券、ゲームと私の間に、「コンピュータ」が入るだけで、バラダイムは劇的に変化します
But in my case, if a computer appears between lottery betting and me, my paradigm is going to be changed dynamically.
宝くじの確率、馬券の予測、そして、ゲームの戦略を「プログラムする」という話になれば、私の興味と集中力は、いきなり最大値に達します。
When I make a program about probability of the lottery, prediction of betting, or strategy of the game, my interest and concentration come to be maximized suddenly.
(To be continued)
(Continuation from yesterday)
とは言え、国民の全員が、
However, for all of the nation, it is a kind of stressful to
―― 病院やコンビニに自動車が突っ込んでくるような非日常まで想定して、日々を生きなければならない
"live their daily life to care of cars, which zoom through gates of hospital and convenience store"
といのは、かなり緊張を強いられる社会でしょう。
技術が、例えば、自動運転(停止)技術が、これを解決してくれるのでれば、助かるのですが、これらの技術が、どこまで期待できるかは、現時点では未知数です。
Technologies, for example "auto (stop) driving technologies", might resolve this problem, however, in the present, nobody knows whether the technology works well in our society.
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そこで、私は、「自動車を前提としない社会」を提案したいと思います。
Today, I want to propose "a society that is not based on using cars".
といっても、先程述べたように、自動車は社会インフラそのものですので、自動車をゼロにすることは難しいでしょう。
However, I have already said that cars are equal to social infrastructure, so it might be difficult to make cars disappear.
そこで、現状の「自動車免許の更新制度」を撤廃して、「自動車免許の(5年間程度)の失効」を提案します。
So, I propose to eliminate "updating system of driving license" and to start "expiring system of driving license in five years".
免許失効後に、自動車に乗りたい人は、再び、自動車学校に行き、最初から、実技、学科試験をパスするということを、全国民平等に実施する、というものです(認知度のテストを含む)。
After expired, any people in Japan, should go to a driving school again, and take examination of both practical and paper (and perceptual disturbance).
これによって、運転技術に問題のなる高齢者の多くは、当然に免許を失効するでしょうが ―― そこには、一切の不公平がない。
Due to this system, many elderly persons must lose their driving license. But all people will get a fair deal absolutely.
なにしろ、試験に「合格しなかった」のですから。
Above all, it is up to them, because they cannot pass the examinations.
もっとも、この施策は、恐らく日本の自動車数を半数程度にまでして、日本の自動車産業を叩き潰すでしょうし、国内総生産なども激減する可能性が高いです。
Of course, this measure will reduce numbers of automobile in Japan, and give destructive damage to Japanese automobile industries. In addition, the gross domestic product might be going down dynamically.
それより、この政策を推進すれば、どんな巨大な与党も、あっと言うまに少数野党に転落するだろう、ということが想定できます。
Moreover, when the measure were proposed, any ruling party, even if it is a big one, is going to be minority opposition party soon.
(To be continued)
(Continuation from yesterday)
話は飛びますが、
Changing the subject,
回覧板には、「近隣住民とのコミュニケーションを図る機能がある」と言われています。
It is said that a circulation board has a function to promote communications in a neighborhood unit.
しかし、この意見に対して、私はネガティブです。むしろ、これからの高齢化社会においては、「独居高齢者宅内の異常検知」という機能の方が、まだ説得力があります。
However I am negative against this opinion. I think it will be useful as a detector of abnormal condition for "living alone", and very persuasive.
としても、「回覧板が回っていないことが分った時に発見される」ということは、その時には、もう「手遅れ」です。
Even if it is useful, I am afraid that it means "too late" to find the abnormal condition, when the circulation board was not passed normally.
そもそも、私、回覧版の発送元ですが、1ヶ月に1回の頻度でしか発送していません。
First of all, I am a distributor of the board, and I also distribute it once a month.
もっとも、「手遅れ」であったとしても、その「発見」に全く意味がない訳ではないとは思います。
However, even if it is "too late", I think "to detect" might be meaningful.
―― これからは、気温も湿度も高くなっていきますから。
Because, "both air temperature and humidity become high from now."
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ならば、
In my opinion, I want to propose to install the following system,
●私が自作している見守りシステム(人感センサ検知システム)を、独居高齢者宅に設置して、
"to observe "living alone" by human detection sensor"
●モニタリングの状態を、町内会サーバに通知する
"to send the detections to the NA-server"
というシステムを作って、町内会の委員会で運用する方が良いと思うのです。
and I want to manage the server by the community of the NA.
(もちろん「人感センサくらいなら、プライバシーは気にせん」と言う人に限りますが)
(Of course, persons who can say "I do not care about my privacy even if there is a human sensor", can use this system)
私なら、導入コスト1万円、運用コスト300円/月程度で、このシステムを実現します(すでに導入実績3つ(自宅、実家2つ))
For me, I can realize this system just by 10,000 Yen as installation cost and 300 Yen as operation cost. (Three systems has already been working at our parent's house and my house).
ラズパイ(5000円) + soracom(6000円) +人感センサ(30円) を初期コストとして、あとは月々300円(soracomの通信費で足ります。
The breakdown is that Raspberry PI(5000 Yen), soracom(6000 Yen) and human detection sensor(300 Yen) and monthly communication cost (300 Yen / month).
独居宅100件、MTBFを1年くらいと見れば、まあ、町内会のボランティアでもなんとかなりそうです ―― 少くとも、回覧板回すコストよりは安い。
Based on 100 solitude houses, one year's MTBF, I can manage the systems as volunteer efforts of NA. At least, the cost might be cheaper than to manage circulation boards.
もちろん、町内会の無報酬サービス(ボランティア)ですから、当然無保証です。
Of course, this monitoring service will be uninsured, because they are the volunteer efforts of NA.
(To be continued)
「100分de名著」というNHKテキストが凄い ―― という話はなんどもしてきました。
The story of the NHK text "100 minutes de masterpiece" is amazing-what has been said.
最近は、カントに引き続きオルテガとスピノザのテキストも読みましたが、『水が砂に吸い込むように理解している』感覚に驚いています。
Recently I read the text of Immanuel Kant, Jos Ortega and Gasset Baruch De Spinozaand , but I am surprised by the feeling that "I understand it like "that water sucks into the sand".
10~20代では、絶望的に理解できなかったのに、なんで今頃になって理解できるようになるんだろう、と不思議に思っています。
I could not understand them at all in my 10's and 20's. So I am wondering why I can do.
私の仮説は、
My hypotheses are
(1)そもそも「100de名著」というNHKテキストが凄い
(1) Above all, the NHK text "100 de masterpiece" is amazing
(2)年齢を重ねて、哲学書の事例のいくつかが「経験済み」になった
(2) Over time, I have experimented some of the examples in the philosophy book
を挙げたいと思います。
なお、もし上記(2)の仮説が"真"であるなら、『若者にとって哲学書の読書は、"時間の無駄"』という別の仮説も立てそうです。
I could make another hypothesis that "reading of philosophical books for young people is "a waste of time",if the hypothesis of (2) above is "true".
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私は「100分de名著(×原書)」によって、哲学という学問が、極めてロジカルであり、徹底的な懐疑主義(例えば、『人間の善性を全く信じない』など) ―― 乱暴に言えば「人間の悪意」に基づいて ―― 論を展開していることを知りました。
By "100 minutes de name book (not original book)", I learned that the study of philosophy is extremely logical and developed them based on thorough skepticism (eg, "they did not believe in human goodness at all. Roughly speaking, based on "human malice")
でもって、それらの「悪意」を上手く組み立てて回すことで、社会を運営するシステムを提案している。
And, they proposed a system to operate society by assembling and turning those "malice" well.
哲学者というのは、社会システムのデザイナーだったんだなぁ、と ―― 橋や道路や税制や法律ではなく、人間(のパラメータ)をコントロールする ―― 思います。
I thought that philosophers were designers of social systems by controlling human('s parameters), not bridges, roads, tax systems or laws.
但し、仮説だけで、定量評価も実証実験はありませんが
However, although there are no quantitative evaluations or demonstration experiments except for hypotheses.
(To be continued)
今年3月の3連休 ―― 日本中がコロナ禍に油断したあの時、私もスキー場にいました。
For three consecutive holidays in March of this year, I was at a ski resort when all of Japan was alert to the coronal disaster,
その時、初めて、高速道路で、N-BOXの自動運転を試しました。
At that time, for the first time, I tried automatic driving of N-BOX on the highway.
―― いやー、ラクでした
"Well, I could drive easiler"
前方の自動車を捕捉すれば、自動追尾モードになり、(おおむね)運転は車に任せられる、という状態になりました。
Once my car captured the car in front, the car changed in auto-tracking mode, and I can leave to my car own choice
しかし、逆に、猛烈な睡魔に襲われることにもなりました。
However, on the contrary, I was attacked by a violent drowsiness.
ただ、ハンドルを握っていないと(あるいはいい加減なハンドルの握り方をすると)、警告アラームが、それを妨げるので、居眠り運転の防止にはなっていました。
However, when I did not hold the steering wheel (or when I handled the steering wheel loosely), the warning alarm prevented it, and it also will prevent me from falling asleep.
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本当に、早いところ「自動車運転」などという言葉が消えて、全ての自動車が国の管理するシステム下で運用制御されればいいのに ――
I wish the word "driving a car" disappeared in the early days, and all cars will be operation-controlled under a system managed by the government.
と、アニメの『PSYCHO-PASS サイコパス』を見ながら、考えていました。
I was thinking that while watching the animation "PSYCHO-PASS".
私は「池上彰のニュース そうだったのか!!」をよく見ます。
I often watch the TV program whose title is "Akira Ikegami's News, Oh I got it!".
この番組で出てくるテーマは、体感としては60~70%くらいは、私でも知っていることですので、見やすいです。
The themes in this program are easy to watch, as even I know about 60-70% of each themes
昨夜のテーマは、高校の教科書の内容についてでした。結構、真剣に見ていました。
Last night's theme was about the contents of recent high school textbooks. I was looking at it quite seriously.
(次の、私の連載のテーマと関係もあります)。
(This is also related to the theme of my next series).
で、その、感想ですが
The impression of the program, was
―― 池上さん。数学、理系科目全般、プログラミング教育について、1mmも触れてくれなかったなぁ
"Ikegami-san. He didn't touch on math, science subjects in general, or programming education, at all"
です。
『これまでの池上さんの番組で、数理系に触れたテーマあったかな』と考えているのですが、思い出すことができません。
I've been trying to think of a topic in Mr. Ikegami's past programs that touched on math and science, however I can't remember.
それはさておき。
But that's beside the point.
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私の好きなアニメの主人公が、
The main character of my favorite novel/anime said,
『偏差値25くらいの雑誌』
"The Magazine of 25 Deviations"
と言って、その妹の読んでいるファッション雑誌を貶(けな)すシーンが登場します。
and, disrespected a fashion magazine that his sister was reading.
その主人公は、「数学嫌い」というキャラ設定がされていますが、このセリフだけでも、その傾向が顕著に読みとれます。
The protagonist of the story is set up as a character who "hates mathematics," and this line alone gives a clear indication of this tendency.
なぜなら、『偏差値25くらいの雑誌』は、商業的に成り立たないからです。
This is because a "magazine with a deviation 25" is not commercially viable.
「偏差値25」とは、「知的レベルの低さ」を示す表現であると同時に、「発生確率の低さ」も示すからです。
This is because "25 deviations" is not only an expression of "low intellectual level," but also an expression of "low probability of occurrence.
50 + 10 x Z = 25, Z = -2.5 σ です。
50 + 10 x Z = 25, Z = -2.5 σ.
If you read this value 0。00621 from the standard normal distribution. the number of buyers of the magazine is 6 out of 1000, at the most optimistic.
雑誌の好みもあるので、それらを考慮すると、おそらく 1000人に1人にもならないでしょう。
In addition, according to the magazine preferences, the radio is probably not even one in a thousand.
1学年が100万人。女生徒はその半数として50万人。その0.1% は、500部です。
A school year has one million students. Half of that is 500,000 female students. 0.1% of that is 500 copies.
中学生1~3年までを対象としても、全国で1500部。
Even for junior high school students in grades 1-3, there are 1,500 copies nationwide.
ちなみに、日本の中学校の数は、約10000校です。
By the way, the number of junior high schools in Japan is about 1,000.
It's clear that a magazine that can't handle an order of 10,000 is not commercially viable.
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私のような、データ解析で食っているエンジニアだけでなく、どの分野の人間であっても、この程度の計算ができなければ、商売なんぞできない ――
If you can't calculate like that, you can't do any business, even if you are not an engineer like me.
ということを、池上さんには語って欲しいのです。
That's what I want Ikegami-san to talk about.
(ちなみに、こういうアプローチを、「フェルミ推定」といいます)
(By the way, this kind of approach is called "Fermi estimation")
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「『偏差値25くらいの雑誌』という無知性への批判こそ、あなたの無知性の証拠よ」
"Your criticism of the ignorance of 'a magazine with about 25 deviations' is a proof of your ignorance"
と、雪ノ下にディスられると思うぞ ―― 比企谷。
Hikigaya, you will be disrespected by Yukinoshita.
例年、4月の上旬は、入社したての新人が、窓口業務でOJT(On the Job Training)に出てきます。
Usually, in early April, new employees who have just joined the company appear for on-the-job training (OJT) in window operations.
当然、新人ですので、その業務がもたつきますし、4月は各種手続で、多くの人が窓口に集まってきて 混雑します。
Naturally, since they are newcomers, their work will be slow, and in April, many people will gather at the counter for various procedures, making it crowded.
しかし、これは、「社会システムの立ち上げ期間」として、我が国の国民が、暖かい目で見守る必要のある期間である、とも言えましょう。
However, it can also be said that this is a "start-up period for the social system," a period that the people of Japan need to watch with warm eyes.
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本日、朝一番に、速達書留を出しに郵便局にでかけたのですが、窓口の方が、いわゆるシニアのおじさんでした。
Today, first thing in the morning, I went to the post office to send out an express registered mail. The person at the counter was a so-called senior uncle.
多分、そのおじさんは、新人で、若手の局員が横について、業務手続をサポートしていました。
The uncle was probably a newcomer, with a younger bureau staff member by his side to assist him with business procedures.
おじさんは、かなり戸惑っていたようですが、無理もありません。
He seemed to be confused, however, it could not be help.
書留郵便は、スキャナで封筒を読みとる方式に変わっていましたし(私が楽になりました)、カードで支払いできましたし、郵送物追跡用の番号が記載された紙片が発行されました。
About the express registered mail, the method to read a destination address changed to scan the envelopment( I don't have to write the address), I could use the credit cared, and get a receipt including the tracking number.
利用者にとっては、とても便利になっていますが、運用者(窓口のおじさん)にとっては、様々なデバイスを使わなければならないので、大変そうでした。
For me, as a users, these are very useful, however, the operator ( the uncle at the counter ) seemed to be hard to use various devices.
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そのおじさんは、未来の私です。
The uncle is me of the future.
皆さん、シニア(高齢者)を大切にしましょう。
Let's all take care of our seniors (elderly).
彼らは(私)は、社会的弱者という位置付けを終え、今や、必須の労働力として期待される存在です。
They (I) have already finished the role of "weaker of society", and now they are expected as essential labors
さらには、年金受給年齢を引き上げることで、国庫に寄与する重要な存在です。
In addition, they will be contributors to save national budget by rising the age of qualifying conditions.
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_ 「おじいさん、おばあさんを大切にしましょう」というスローガンは、今や、その後ろに「貴重な労働力として」というフレーズが付与する時代です。
Now, the slogan of "Take care of elder people" is not completed. The phrase of "as important labors" will be added after the slogan.
私は、自分のWebサイトをDB化しています ―― GoogleエンジンとWordPressの検索機能を使っているだけですが。
I use my website as DataBase, using just the Google search engine and search functions of WordPress.
これ結構便利です。
This is really useful.
Whenever I want to tell a story about a specified theme, I can find it soon.
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今日も会社で、あるテーマについて投稿しなければならなかったのですが、数秒でネタを見つけました。
Today I was ordered to submit a short story about a specific theme, and I could find it in a few seconds.
まあ、ネタの使い回しもあるので、何度も同じ話を聞かされている人もいるでしょうが ―― まあ、そこは諦めて下さい。
Well some people should hear my story again and again, I ask them to give up.
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なんだかんだ言って、私のWebの創立は、1993年です ―― 創業30年の老舗Webサイトです。
Anyway, my Web establishment was founded in 1993 -- a 30-year old Web site.
まあ、規模的には「和菓子屋」というよりは「駄菓子屋」ですが ――
Well, in terms of scale, it's more of a "candy store" than a "wagashi ya" -- however,
それでも歴史だけに着目すれば、AmazonやGoogleなどのGAFAなんぞは、小僧のようなものです。
Still, if you focus only on history, GAFAs like Amazon and Google are like little boys.
決して、負け惜しみではありません。
By no means is this a sore loser?