クラッシック音楽の本質が分っているとは全然思ってはいないのですが、疲れた時に、以下の曲を聴いていると元気になれます。
(1)ショパン 第1楽章~ピアノ協奏曲第1番ホ短調作品11
(2)ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番ニ短調作品30第3楽章フィナーレ
(最後に観客と一緒に「ブラボー!」って叫んでしまいそうになる)
ただ私の嗜好の条件はメチャクチャに狭くて、
(1)ピアノ協奏曲であること
(2)超絶技巧曲であること
(2)マルタ・アルゲリッチのピアノ演奏であること
となっているようです。
この条件ですと、日本で入手できるCDの数は、数える程しかありません。
実は、NHKで上記の2曲の演奏をしているところを、たまたま途中見たのですが(こんなマイナー曲を2曲も見れたというところに運命を感じますが)、その演奏を聴いていて、
『ちがうの! そうじゃないの! どうして分ってくれないの!!」
と叫んでしまいました。
アルゲリッチの傲慢で正確無比なピアノの演奏の機関銃が、オーケストラという戦車の陸戦隊と、間髪なく砲撃をしあっている、戦場の音楽(凄い比喩だが)を感じられなかったのです。
と言う訳で、この忘備録を読んでいる方にお願いがあります。
私の嗜好にフィットすると考えられる、クラッシック音楽をご紹介頂けないでしょうか。
このご報告に関しては、下記リンクの"Mr.Ebata's Mail Policy"を適用しないことをお約束申し上げます。
何卒よろしくお願い致します。
http://www.kobore.net/mail.txt
昔から、嫁さんは「パソコンは使い難い」と文句を言い続けていました。
最近は、娘たちまで「パソコンは使い難い」と文句を言い出し始めました。
それは、私も同意するのですが、
―― 何故、私を睨みながら、文句を言うのだろう
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私は、IT業界を牛耳っている訳ではないし、R&Dの国家プロジェクトの予算配分を担当している訳でもありません。
パソコンのインターフェースの悪さは勿論認めますが、その責任を、私が一身に負わされることには、納得できないです。
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私は、ちょくちょく、嫁さんの会合用の資料や、娘たちの自由研究のレポートの作成を手伝うことがあるのですが、
私は、図や表を望む場所から持ってきて張りつけ、文字のサイズや配置の変換を、ショートカットキーを使って1秒以内で作業を完了することができます。
そのような作業を見ている彼女たちは、「魔法を見ているようだ」と言います。
―― 「どうせ、私達はパソコンに愛されていないもんね」
と、拗ねるのですが、一体私にどうしろ、と。
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―― パソコンなんて簡単だよ。毎日、少しづつ扱っていれば、これくらい簡単にできるようになるよ ――
といいかけて、「ハッ」と気がつきました。
これは、TOEICで毎回900点の以上のスコアを弾き出す、あの野郎と同じ台詞だ。
この台詞だけは、少くともこの私だけは、絶対に言ってはならない。
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「そうだな。パソコンは使い難いのは、『パソコン』が悪いからだ。私達には一切の責任はない」
と、家族には言っておきました。
今、ジェームズ・スロウィッキーさんの 「「みんなの意見」は案外正しい」 を読んでいます。
Now I am reading the book "THE WISDOM OF CROWDS", by Mr. James Surowiecki.
その中で、
In the book, the followings are described.
■専門家の意見は、全く当てにならない。これは過去のデータからも明らかである。
Specialist opinions are trustless. This is clear from many passed data.
■しかし、専門家は、しろうとよりも、自分の意見が「当て」になると信じており、
However, the specialists believe that their opinion is more trustful than amateur's one.
■さらに、しろうとも専門家が「当て」になると信じている。
To make matter worse, the armature is going to rely on the specialists.
■専門家の意見が当てにならないことの端的な一例としては、
One outstanding example of the above is that
『もっとも優秀な投資会社の予測も、市場全体の平均値の予測に、一度も勝ったことがない』
"Prediction of the most excellent investigation company could have not beaten predications of the market average at all.
ことが挙げられる。
などの内容が記載されています。
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After all, I am correct.
と、思いました。
I whispered.
久々に特許明細書を書いているのですが、今回は、これまでと違って、気をつけていることがあります。
For the first time in a few years, I begin to write an patent application. But in this case, I should pay an attention for me.
―― 「未来の私」に宛てて書く
"I write it for me in the future."
です。
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特許明細書の内容は、世の中のほとんどの人には呪文か暗号のような内容です。
Contents of patent application are like to be spells or cryptograms for many people in the world.
「その分野の通常の知識を有するもの」にとっても、相当な気合を入れないと、理解できません。
Even if you were "a special person who has special knowledge in the technical field", you could not understand the patent without your special efforts.
加えて、その記載方法が、古くさいんです。
To make matter worse, the application style seems to to be out-of date.
図面は原則として白黒の線図、明細書(説明分)は文字しか使えません。
As a rule, you can use monochrome lineal drawings in the figures, and normal characters in the documents.
文章にリンクを埋め込むことはできませんし、図面から文章に飛ぶこともできません。
"linked documents" is not allowed and "tab jump" is prohibited.
当然、アニメーションや動画もダメです。
Of course, you cannot use any animations and movies.
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もっとも、これらの「きまり」は、悪くはないのです。
But these "rules" are not bad for us.
まず、印刷するだけで誰もが発明の内容を知ることができます。特別なツールは必要ありません。
At first, everybody can access any patent application, only to print them. No special tool is needed.
華美で派手な表現をする為のツールを使い熟す能力も不要です。
No capabilities to make full use of presentation tools, which can bring someone a surprise.
このような「きまり」があるからこそ、国民に平等な特許出願制度が維持できているのだ、とは思うのです。
I think that these rules make fair application for patent in Japan.
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しかし、問題はそこではないのです。
But the problem is not the point.
問題は、
The problem is that
―― 私が、私自身の発明を理解できない
"I cannot understand the patent that had been invested by myself".
という、その一点にあるのです。
(To be continued)
結構驚いているのですが、未だに、ワープロでの宿題の提出を認めない学校があるそうですね。
As I live and breathe, there are schools that cannot accept a homework made by word processor(WP).
私の娘(中学生)が、宿題のレポートを手書きで強制されていることを知って、ビックリしました。
I was surprised to hear that my daughter is enforced to submit her homework to the teacher as a handwritten note.
彼女は、ワープロで書いたレポートを、もう一度、手書きすることになるようです。
She should rewrite the handwritten note from the note written on WP.
―― アホか
I came to think "it is helpless",
と思わずにはいられませんでした。
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まあ、教師側の言い分としては、
According to teacher's story, the following problems will annoy them.
■コピペでレポートを作られたら困る。
- Making a memo by copy and paste,
■友人のレポートを簡単にコピーされたら困る。
- Copying a memo of others.
■そのようなことをされたら、レポートを評価できず困る。
- Being difficult to estimate the quality of the memo.
というところのようです。
これ、一見、筋が通った理屈の様に見えますが、やっぱり変です。
These stories seem to be logical, however, it is odd, I think.
手書きの価値は、手書きの価値以上の価値はありません。
The value of handwritten note is nothing more than the handwritten note.
コンテンツは、手書きであるかどうかは関係ないはずですから。
The contents are not related with the method like "handwritten" or "WP".
(To be continued)
Recently, no solicitation of religion, sales, have come.
まあ、訪問時に、私が不在である確率が高いだけかもしれませんが、
Well, I might think that there is a high probability of being absent at the time of visit.
それにしても、全く来なくなったのは変だな ―― と思っていました。
Even so, I felt strange that no one has come.
もしかしたら、これは「武装化された江端宅」が理由ではないか、と推察しています。
Perhaps, I came to think that the reason was "armed Ebata's house".
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Three posters of "I'm watching you!" that had been modified including my face by me, are put on the wall around the entrance hall.
# ちなみに、このファイルの原本、ここにありますので、このビラの目的の範囲内で自由に使って下さい。
監視カメラやセンサが、玄関や庭に、これみよがしに配置されています。
Surveillance cameras and sensors are arranged in this way in the entrance and the garden for show.
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これだけ徹底的な自宅武装を実施している家の家長と、
Against the house leader who owns this "armed house" thoroughly,
直接対決しようという、
The person of solicitation of religion or sales, who is trying to battle directly,
セールスや宗教団体はいないかもしれんなぁー とか、思っています。
doesn't exist, unfortunately
何かの記事で、
Previously, I read an article whose writer said
『このままでは、銀行はスマートフォンのアプリになる』
"At this rate, banks will be taken over by an application of smartphones.
というフレーズを読みました。
私は、「本当にそうだな」と「本当にそうかな」の間で揺らいでいます。
I don't know whether I can agree with the writer, or not.
ここでのキモは、やはり「ブロックチェーン」になります。
In the article, the main topic was "black-chain", after all.
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先日、ソフト外注先の開発者の人と会話した時に、
The other day, I chatted with an engineer of an software company, he said to me.
「江端さん。ブロックチェーンというのは、『改竄(書き換え)が不可能なメモ』に過ぎませんよ」
"Ebata-san. "Black-chain" is just a memorandum, but that is unwritable absolutely"
と言われました。
次の日に、自分で、超簡単なテストプログラム(ブロック単位でロックするだけのプログラム)を書いてみて「なるほど」と納得しました。
The next day, I tried to make an easy test program and checked the function. And I could accept what he had told.
In order to tamper with the memorandum, we have to
■どこの誰だかか分からない複数の人の、
- steal several electric secret keys from somebody in somewhere
■電子的な鍵を全部盗んで、
■正確に逆順に開錠していかなければ
- unzip the encrypted memorandum in reverse
絶対に読めないメモ ――
うん、確かにこれでは改竄できないな、と実感しました。
I could understand that "this is unwritable absolutely" at the bottom of my heart.
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銀行は、お金の取引に関する信用を与え、リスクを負ってくれる第三者として、存在してきてくれました
The significance of existence of banks is to give us the credit of money transactions, and absorb the risks of them
確かに、この部分については、確かに「ブロックチェーン」でなんとかなり、「銀行はいらない」と言えるようにも思えます。
Certainly, from the viewpoint of them, I think that we will dispose of banks, and use "block-chain" alternatively.
しかし、銀行業務は、お金の取引だけではありません。
However, banking services are not money transactions.
相続、保険などの手続系業務や、融資などの案件単位の与信評価などは、人間のインターフェースや(独善的な)主観なしには、成立しません。
For example, for typical "process works" ,like "succession", "insurance" or "credit assessment works" like "loan", it seems to be impossible to do them without human interfaces and (dogmatic) subjectivity.
その分野は、ブロックチェーンでは、手も足も出ない ―― ようにも思えます。
In the field, even if there is a "black-chain", it can resolve these problemsm, I think.
でも、必ずしも、そうとも言えない面もあるのです。
However, I also think that there are also aspects that can not necessarily be said.
(To be continued)
「あおり運転」というものは、昔から存在していたと思いますが、近年は、ドラレコ(ドライブレコーダ)とSNSによって、かなり様相が変わってきました。
"Tailgating" has existed for a long time. In recent years, the appearance of "tailgating"has changed considerably with drive recorders and SNSs.
ですが、今日は、その話はしません。
However, today I won't talk about that.
私、高速道路で、滅多なことで「追い越し車線」を走ることはありません。
I rarely run on the “passing lane” on the highway.
基本的には、最低スピード(80km/h)をキープして「走行車線」を、のんびりと走っています。
Basically, I keep running at the minimum speed (80km) and drive slowly in the "driving lane".
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なぜ、このような走行をするかというと、メリットが沢山あるからです。
This is because there are so many benefits in this way.
(1)疲れない
(1)Not tired
高速運転は、脳に過負荷な処理能力を求めますし、体の緊張による体力の消費も激しいです。
High-speed driving demands processing power that overloads the brain, and the consumption of physical strength due to body tension is intense.
計算すれば分かることですが、高速運転をする疲労を、サービスエリアで休憩する時間で換算すると明らかです。
As you can see from the calculation, it is clear that the fatigue of high-speed driving is converted to the time taken for a break in the service area.
例えば、私の実家までの帰省ルートである、高速道路300km(川崎~豊田)で考えてみます。
For example, let me think the 300km long expressway (Kawasaki-Toyota), which is the return route to my parents' home.
平均時速80kmと110kmで走る場合、計算上、到着時間に、1時間弱の差が発生します。
When running at an average speed of 80km and 110km, there will be a difference of less than 1 hour in arrival time.
私は、高速道路の運転時間は5時間(渋滞がない場合)です。
I drive on the highway for 5 hours (without traffic jam).
休憩を4回ほど取りますので、一回の休憩は18分程度になります。
Since I take about 4 breaks, each break takes about 18 minutes.
110km走行は、80km走行の1.38倍(=110/80)疲れると仮定してみます。
Let's assume that 110km travel is 1.38 times (= 110/80) tired than 80km travel.
この場合、休憩時間が疲労に比例するとした場合、一回の休憩時間は、25分となり、休憩の合計は約100分となります。
In this case, assuming that the break time is proportional to fatigue, the break time for each break is 25 minutes, and the total break is about 100 minutes.
こうなると、到着時間のメリットは、30分程度しかメリットがありません。
In this case, the advantage of arrival time is only about 30 minutes.
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しかし、疲労が「速度」に対して「線形」というのはかなり楽観的な仮定だと思います。
However, I think that fatigue is "linear" with respect to "speed" is a fairly optimistic assumption.
視覚情報が2次元であることを考えると、視覚と緊張の疲労は、二乗に比例すると思います。
Considering that visual information is two-dimensional, visual and tension fatigue is proportional to the square.
つまり1.38^2 = 1.90です。
That is 1.38 ^ 2 = 1.90.
この値で計算すると、必要な休憩の合計時間は137分となり、逆に7分ほど遅れることになります。
If calculated with this value, the total time required for the break is 137 minutes, and on the contrary, it will be delayed by about 7 minutes.
結論から言えば、
In conclusion, I think
―― 疲れを蓄積させる「高速運転」なんぞ、バカらしいくてやってやれるか
"Fast driving" that accumulates fatigue is ridiculous"
ということになります。
(To be continued)
(Continuation from yesterday)
今の私が欲しいものは、
What I want now is,
―― リモートで共有可能な電子ホワイトボード
"electronic whiteboards that can be shared remotely"
です。
多分、このような「共有ホワイトボード」は販売されていると思います。
Maybe these "shared whiteboards" are available for sale.
しかし、双方の環境に同じ機材を導入するのは、簡単ではなさそうです。高そうですし。
However, it doesn't seem to be easy to install the same equipment in both environments. Maybe it is expensive.
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タブレットと磁気ペンを使った「ボード共有」という手もあるのですが、まだ本格導入には早い段階でしょう。
There is also the possibility of "board sharing" using a tablet and a magnetic pen, but it's probably still early days for full implementation.
それと、タブレットとというのは書き難いんです、特に文字。もちろん「慣れ」もあるでしょうが。
And it's hard to write with a tablet, especially with text. Of course I need "experience" too.
しかし、私は、時々イラストを「作る」ため、ペンタブ使ってみたことがあったのですが、相性は良くなかったです。
However, I had tried using a pen-tab to "create" an illustration from time to time, but it wasn't a good match for me.
結局、使うの止めてしまいました(もったいない投資でした)。
I ended up stopping using the pen tabs (it was a waste of an investment).
今は、マウスとショートカットキーだけで絵を作っています("SAI"使いです)。
Now I create pictures using only the mouse and shortcut keys (as a "SAI" user).
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共有が無理なら、ホワイトボードを含めた仮オフィスを、自分の部屋に作る、ですかね。
If I can't share, I guess I'll make a temporary office, including a whiteboard, in my room.
YouTuberではないですが。
I'm not a YouTuber.
Speaking of YouTube, I've posted a few of them on YouTube.
メモに纏めるのが面倒なことを、ビデオ撮影して、YouTubeに放り込んでいるだけですが。
I'm just videotaping and throwing things on YouTube that I can't be bothered to write down.
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私、リアル世界のミーティングが開催できない今の世界が好きです。
I love the world where real world meetings cannot be held.
コロナ禍は収束して欲しいですが、Skype会議は収束して欲しくありません。
I want the Corona disaster to subside, but I don't want the Skype conference to subside.
"5時間"より"15分間"の方がいいです。
"15 minutes" is better than "5 hours".
成田空港のセキュリティで毎度足止め喰らって、狭いエコノミー席で、巨漢の外国人に押し潰されながら10時間を過し、時差ボケで苦しみながら、英語での発表を強いられるよりも ――
Every time I get held up by security at Narita Airport, spending ten hours in a cramped economy seat, being crushed by a giant foreigner, suffering from jet lag, and being force to present in English...
自宅で英文の資料を描いて、それらしい英語をしゃべって、ビデオクリップを作り、ネットでサーバに投稿する、新時代の国際学会「バンザイ」です。
It's a new-age international conference, "Banzai," where I draw English material at home, speak English about it, make video clips, and post them to a server on the Internet.
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しかし、その一方で、その為の設備投資は、避けえないと思っています。
However, on the other hand, I believe that capital investment for this purpose is inevitable.
―― 江端家書斎、スタジオ化計画
"Ebata's study, studio project"
この、書類と書籍(マンガコミックを含む)で溢れかえるカオス状態の部屋を、いかに、無機質な会議室のように装うか ――
How to make this chaotic room full of papers and books (including manga comics) look like an inorganic conference room?
先ずは、デジタル映像加工技術の検討です。
The first step is to examine digital video processing technology.
「ビュッフェ」「バイキング」―― 金額固定の食べ放題、というサービスが日本で始まったのは、所説ありますが、今から63年前の、1958年に、帝国ホテルで始まったらしいです。
"Buffets" and "buffets" - all-you-can-eat services with fixed prices - started in Japan 63 years ago, in 1958, at the Imperial Hotel in Japan.
ここ数年、汎用的なITサービスのプラットフォームが安価になってきたことより、スマホと連動した、各種の「サブスク」サービスが始まりました。
In the past few years, as general-purpose IT service platforms have become cheaper, various "subscription" services have started to be linked to smartphones.
サブスクとは、サブスクリプション(定期購読)の略称ですが、簡単に言えば、「サービスを受ける期間に対して料金を支払うサービス」と言えます。
"Subsc" is an abbreviation for subscription, which simply means "a service where you pay for the period of time you receive the service".
Amazon Prime, NetFlixなどの映画、Amazon Music Unlimitedなどの音楽、最近は洋服のレンタル、家具のレンタル、ホテルチェーン、コミック・書籍、Officeスイート、カフェ、英会話教室、学習塾、宅配、布団、などなど、ぶっちゃけ「なんでもサブスク」という感じになってきています。
Amazon Prime, NetFlix and other movies, Amazon Music Unlimited and other music, clothing rentals, furniture rentals, hotel chains, comics and books, office suites, cafes, English conversation classes, cram schools, home delivery, futons, and so on.
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このように、生活の基盤がITプラットフォーム ―― というか、スマホとPCに移行しているのは明かなのですが、
Thus, it's clear that the foundation of our lives is shifting to IT platforms -- or rather, to smartphones and PCs.
"Japan's Digital Competitiveness Ranks 27th, Weaknesses in Data Analysis and Human Resources"
で見るように、我が国のデジタル競争力は、隣国、韓国、台湾、中国に惨敗です。
Our country's digital competitiveness is being trounced by our neighbors, South Korea, Taiwan and China.
今、この出展元のレポートを読んでいるのですが、ななめ読みでざっくり纏めると、
I'm reading this exhibitor's report right now, and I can summarize it in a nutshell,
『ネットワーク環境が世界トップレベルにも係わらず、デジタル技術力がボロボロ』
"We have a world-class network environment, but our digital technology is in tatters"
と、言われているようです。
This seems to be the case.
―― 私か? 悪いのは私たち、ITエンジニアなのか?
"Is it me? Is it us, the IT engineers, who are at fault?"
と、動揺しています。
I am so upset.
まあ、それはさておき。
Well, that aside.
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粗大ゴミ回収の「バイキング」というものを見つけました。
I found something called "Viking" for bulky trash collection.
―― トラック載せ放題
"All-you-can-carry services on the truck"
実に分かりやすいキャッチコピーだ、と感心しました。
I was impressed by the catchphrase, which was really easy to understand.
アルコールを摂取しなくなってから、異様なほど「甘味」を欲するようになりました。
After stopping drinking, I come to prefer to get "sweets".
以前は、ケーキやシュークリームなどの洋菓子が好きだったのですが、現在は、もっぱら和菓子を食べています。
I used to like western sweets such as cakes and cream puffs, but now I prefer to eat Japanese sweets.
まず、洋菓子は和菓子よりカロリーが格段に多いことに加えて、和菓子は腹持ちがいいという感じがします(主観ですが)。
First of all,the calories of westren sweet is several times higer than those of Japanese sweets, and Japanese sweets seem to feel full subjectively.
When I read the comic "Deaimon" in midnight, I come to panic to want to eat Japanese sweets.
和菓子専門店でなくても、スーパーで売っている、4つ入りで188円くらいの大福餅も、十分に美味しいです。
Daifukumochi, sold in supermarkets, even if that is not in Japanese sweets specialist, for about 188 yen for a pack of four, is good enough.
昔、安い和菓子はこんなに美味しくなかったような気がします ―― メーカー各社の営業努力に感謝です。
I don't think cheap Japanese sweets used to taste good. We appreciate the sales efforts of the manufacturers.
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総じて、最近、味覚のパラダイムシフトが激しいような気がします。
In general, I feel that there has been a severe paradigm shift in my taste recently.
この夏に一人で実家に帰省した際には、ずっと外食していました ―― 父も母もいない家で、食事を作って、キッチンを汚すのも面倒だな、と思いまして。
When going back to the country house, I was eating out all the time. Though I like cooking, I didn't like to dirty the kitchen in the house without my father and mother.
あんなに美味しいと思っていた「餃子の王将」定食や「吉野家」の牛丼が、昔のように感じられないことにショックを受けています。
I am shocked that the "Gyoza no Ousho" set meals and "Yoshinoya" beef bowls, which I thought were so delicious, do not feel like I used to.
『中華料理専門店の中華料理は、とても美味しい』ということを、今ごろ再発見しています。
I am rediscovering nowadays that 'Chinese food at Chinese specialty restaurants is very delicious'.
「自分を客観視することは重要だ」と言われます。
They say, "It is important to be objective about yourself."
私は、『自分が特別な人間ではない』ということを、よく自覚していたつもりでした。
I thought I knew that 'I am not a particular person.
とは言え、今日、退職後のライフプラン説明会を受講して、
However, today, after attending a retirement life planning information session,
―― 自分が、道に落ちている石コロの一つである
"I am one of the stones on the road."
ことを、あまりにも無感動に受け入れていて、ちょっと驚いています。
I am a little surprised at how unsympathetic I accepted the fact.
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私は、この人生において、ただの一度だって『輝くような生き方がしたい』などと思ったことはありません。
I have never thought, "I want to live a shining life.
『人と違う人生を生きたい』とも、『目立ちたい』とも、一度も思ったことはありません。
I have never wanted to 'live a different life' or 'stand out.
『人の規範となる』などというようなおこがましいことや、『世界を変えたい』などとという野望も持ったことはありません。
I have never had any ambitions to be a role model or to change the world.
本当に本当です。
It is really true.
私は、心労が少ないトラブルレスな人生を可能な限り平穏に過し、できるだけラクチンに死にたい、と思っているだけです。
I want to live a trouble-free life with less heartache and as much peace as possible and die as lacunately as possible.
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これからも、できるだけ他の人に影響を与えないように生きていくから ――
I will continue to live my life with as little influence on others as possible--
だからもう、色々と、放っておいてくれないかなぁ。
So, let me alone for things.