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2024|01|02|03|04|05|

2013-11-01 呼びつけて頂ければ、私の方から参上致します。

いわゆる「上り方面」の通勤ラッシュ時の電車は、ある種の「地獄」です。

無理な姿勢のままで身動きができない上に、荷物を掴み続けなければならず、当然全方向から力がかかります。女性の場合、痴漢のリスクも高い。

嫁さんの話では、痴漢は身動きできない状態ではなく、降車時に「四方八方から」手が出てきて、胸や尻を触り捲られるのだそうです。

なるほど、痴漢から見ればリスクの小さい、最適戦略でしょう。

―― ゲス野郎が

―― 死にさらしやがれ

うちの嫁や娘に手を出したら、私の持ち得る最先端のIT技術を用いて、こういうゲスを成敗します。

私は警察じゃないですから、物的証拠なんぞはいりません。考えうる最凶の手段で私刑(リンチ)を行使する予定です。

本当に、訳分からないですよ。

インターネットではアダルトコンテンツ花盛りの、昨今にあって、なんでそんなことをするのでしょうか、このゲス野郎どもは。

ちょっとは想像力を働かせれば分かりそうなものです ―― 自分自身が、むさくて、臭くて、汚なくて、ブサイクなおっさんに、自分の体を撫で回されるような不快感を。

まあ、その程度の想像力も働かんほどの低能だからこそ、痴漢なぞという行為に至るのでしょうが。

そういう奴は、この社会にはいらん。

その辺で、迷惑がかからんように、ひっそり静かに、死んでくれ。

頼む。

-----

―― と、このような激しい言葉を羅列したのは、これが「私の本心」だからなのですが、併わせて、ここで、もう一つ、考えたいことがありまして。

このような激しさと同程度の記述が、隣国である韓国の人や、中国の人の批判に、普通に使われている、という点です(「普通に」です)。

私は、学生の時に、在日韓国人の人と同じ寮に住んでいましたし、今でも中国を含む外国の人たちと普通に仕事をしていますし、19歳の時から、一人で海外を歩いていて、今でも仕事で海外にも普通の人よりは多くでかける機会があります。

お酒を飲みながら色々な政治の話もしましたし、お互いの国の考え方についても、論争になったこともあります。納得したこともあったし、納得できないこともありました。

それは、本当にもう、たくさん。

しかし、私が上記で記載したような「痴漢に対する憎悪」と同程度の憎悪に至るようなことは、ただの一度もなかったです。

-----

あなたの憎悪は、仮に自分が、中国や韓国で産まれてきたとして、自分の国をそのような激しい言葉で非難できる程に、客観的に公平なものなのですか?

本当に? 本当の本当に?

本当に、その国の人と話をしてみて、議論をしてみて、その上で、なお、その「憎悪」に至る程に激しいものなのですか?

もし、本当にそれが「Yes」ならば、そして、あなたがその「憎悪」に命を賭けているなら、私は、あなたたちの側に立ちたい。いや、是非立たせて欲しい。先頭に立って論陣を張るし、コラムでその論旨を展開したっていい。

だから、私を納得させて下さい。

私は、フットワークの軽いことでは定評があります。メールなど面倒な手段は不要です。私を呼びつけて頂ければ、私の方から参上致します。

勿論、私は自分の名前でコラムを公開します。当然あなたの名前の公開にも同意して頂けると、信じております。自分の意見に命を賭けているのであれば、当然ですよね。

-----

ただ、(いきなり現実的なお話になって恐縮ですが)、中間管理職サラリーマンなので週末か休日にお願いします。

できれば、私の自宅から半径100kmくらいのところまで出てきて頂き、お話させて頂ければ助かります。

なんだかんだで、取材の交通費の多くは、自腹を切っていて、これが結構痛いのですよ。


2014-11-01 家族から、誕生日プレゼントを貰ったのですが、なかなか「分かってきた」ようです。

毎年、私の誕生日には、インターネットで取りよせた生魚を、私が料理するという、

Every year at my birthday, I have to cook fishes I get from net.

I think that that is

―― 理不尽なイベント

An unreasonable event

を強要されています。

that I am enforced

まあ、素材が良いので、私のような素人が作っても、そこそこの味になります。

Well, the fishes are fresh and good, so the taste become better, even if I cook as an amateur.

「魚を三枚に卸す」が、もっとスマートにできるとカッコイイと思っているのですが、所詮、年数回程度の鮮魚さばき程度では、技がつきようもありません。

If I sliver fish smoothly, I think it is cool, but it is impossible that the skill becomes well.

-----

家族から、誕生日プレゼントを貰ったのですが、なかなか「分かってきた」ようです。

I was given the birthday presents from my family, they become to know my favorite.

キレイなラッピングを開いたら、そこには、

When I opened the fancy lapping, there were

■次女 ―― ドライバーセット

Screwdriver set, from the junior daughter,

■長女 ―― みかん3kg

Tangerine 3kg, from the senior daughter,

■嫁さん ―― 柿2kg

Persimmon 2kg, from my wife.

が、入っていました。

みかんには、丁寧に、それぞれ違った「顔」が描かれており、

On the tangerine, each difference face are drew courteously, so I said,

『凄いなぁ。全部のみかんに顔を描くのは大変だったろう』

"Great! It looks like very hard for you to draw faces on all the tangerines.

と褒めたら、

When I applauded her,

―― 急いで、奥の方からもみかんを取り出して、あわてて、顔(目だけ)を描き始めていました。

She started to draw faces (only eyes) on other tangerines suddenly picking up them at the bottom of bag.


2015-11-01 若者が、極端に走ると、大抵、ロクなことになりませんからね。

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

私は、「友人至上主義」と「ぼっち至上主義」の比率を50:50くらいで位置付けておくのが良いと思います。

I propose that you might have to go fifty-fifty with both friend-supremacist and loneliness-supremacist.

何事も「中途半端」が大切です。「中途半端」とは「ポートフォリオ」のことです。リスク回避の定番です。

"Doing by halves" is important for anything. It is a sort of portfolio that is a standard way to avoid risks.

若者が、極端に走ると、大抵、ロクなことになりませんからね。

When younger run to extremes, something wrong happens in many cases.

と、ここで、私は、バカの一つ覚えのように、「連合赤軍」と「オウム真理教」を始めてしまうのですが、今日はそっちの話はとどめておきます。

When I talk like the story, I always start to tell about "Japan Red Army" and "Aum Shinrikyo". But I want to avoid the direction today.

-----

実際のところ、それだけではなくて、もっと日常的に問題になるのです。

In fact, this is everyday issue.

具体的に言えば、「友人至上主義」を信仰したまま大人になった奴というのは、

In conclusion, "friend-supremacist" are going to come of age with

―― 誠に「うっとうしい奴」になります。

"annoying",

自分を100%理解して貰おうとし、他人を100%理解しないと、納得できない人間。

who want to understand others perfectly and don't accept the situation that the others cannot understand him/her.

この手の人間は、なんでも、自分の思い通りに進まないと、泣くは、わめくは、怒り出すは、その鬱陶しさは、想像を絶するものになります。

This type of persons is going to cry, shout and get angry with everything that they don't go their own way. They are annoying me beyond my imagination.

具体的には、地元の祭とか、同窓会とか、同期会とか、そういうものに絶対的な価値を置いて、他人も同じ価値感を持っているのだと信じている奴です。

Concretely, they have an absolute value for domestic festival, class reunion, and alumni association, and to make matter worse, they believe that others think same.

例えば、彼らは、私の

For example, they cannot understand my negative intentions as follows,

―― 私の残りの人生で、あんたたちとはコミットする予定はない

"I have no plan to commit you in my life"

―― 同窓会を3回連続で断わっている時点で、もう連絡してくるな

"Please don't contact me, when I have rejected the attendance three times consecutively"

というような、ネガティブな熱い想いが ―― どうにも通じない。

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)


2016-11-01 今回は、前回0.7くらいだった視力が、両目1.5になっていたお話をします。

Recently, I went to a medical checkup and I achieved new record of light weight in my life.

(問診医から「一体何やっているですか!」と、批判されたお話は、後日致します)

(Later, I will tell you the story that the doctor discussed this success critically with saying "what are you doing?")

今回は、前回0.7くらいだった視力が、両目1.5になっていたお話をします。

Today, I am going to tell you the another story. This time, my vision, which was about "0.7" at the last time became "1.5" of both eyes.

-----

勿論、最近の私の、老眼による視力の低下は著しく、この"1.5"は、誤った計測結果です(間違いない)。

Of course, my recent, a decrease in visual acuity became terrible and I know well that this "1.5" is the wrong measurement result (no doubt).

当然、「そんなはずはない! 再計測を要求する!!」など、自ら有罪(?)を主張することはしません。

Needless to say, I don't claim my own guilt (?), like "No way! I request re-measurement!!"

最近は、視力検査も自動化されています。

Recently, the vision inspection has also been automated.

計測機のスコープを覗き込み、そこに出てくる、あの「円弧の形状」が見えてきて、その方向を手元のスティックで指示する、というものになっています。

The procedure of the machine is that I peek the scope of the machine, "the arc" appears, and I manipulate its direction at hand of the stick.

計測前に、『見えなくなったら、この白いボタンを押して下さいね』と言われましたが、

Before measurement, I was told that "when it is no longer visible, please press this white button,"

―― 自ら「見えない」と申告する

Who "declares with my "invisible"? "

などするはずありません。

例え見えなくとも、「心の目」で、上下左右を読み取る、というのが、「被験体の心意気」と言うものでしょう。

Even if I cannot do it, I am going to try to watch the up, down, left and right in the "mind's eye". It is "spirit of the subject".

(続く)

(To be continued)


2017-11-01 ―― 問診は医師から受けるから、お前は、黙って測っていろ

本日は、人間ドックにいます。

Now I am in hospital for medical checkup.

今朝、体重を測ってきたら、目標体重±0.0kg となっていました。

This monring, my weight was the target weight accurately .

In this series, I state a hypothesis,

●人間は、制御システムの一つであるから、

- Human beings are a kind of control system,

●精密な体重コントロールが可能である

- So, human's weight control is possible perfectly,

という仮説の元に、ダイエットのコラムの連載を続けてきました。

and, continued to write the essay about diet.

これで、上記の仮説を、3年連続で検証できた、と思っております。

I think, the hypothesis testing have done well for the third consecutive year.

-----

ただ ――

However,

私の計算式では、私の場合、

My diet formula shows, in my case,

●日常生活に影響を与えない範囲の、1ヶ月の減量の限界は2kg

- the limitation of loss weight is 2kg in a month

となっていましたので、

普段から目標体重の2kg以内に抑える努力は怠らず、

I have to make an efforts to keep my weight within 2kg from the target

そして、この一ヶ月間は、特にキツかったです。

Especially, it was very hard for me in last month.

In addition, in a few days, I could not feel pain at all, and I think I have a risky condition.

全て、想定内です。

All are assumable in my mind.

-----

でも、まあ、体重を抑えるだけのダイエットは、あんまり「健康に貢献」はしていないようです。

However, the diet that only lose weight seems not to "contribute to health" so much.

先程、『あ、ぎりぎりメタボだね』『肝臓に影があるんだよなぁ』とエコー診断をした人に言われましたので。

Since I was told by the person who performed the echo diagnosis, "Oh, it's just metabolic," "There is a shadow in the liver."

正直、

To tell you the truth, I thought that

―― 問診は医師から受けるから、お前は、黙って測っていろ

"you should measure me silently. because the inquiry is received from the doctor"

という気持ちでしたが。


2018-11-01 「現時点において、70歳程度の人は、メールを使えないことの言い訳に、『高齢』を振りかざすことは許されない」

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

8ビットマイコン(初期のパソコン)が誕生したのは、私が12歳くらいの時です。これを暫定的に1975年としましょう。

8-bit microcomputer (early computer) was born when I was about 12 years old. Let's provisionally set this as 1975.

そして、Windows95が登場したのが、その20年後の1995年です。

And Windows 95 came out in 1995, 20 years later.

1975年から1995年までの20年間については、パソコンが汎用製品でなかったことは認めます(パソコンを使っているだけで、オタクと迫害された時期でした)。

For 20 years from 1975 to 1995, I have to admit that the personal computer was not a general purpose product(It was a time when I was persecuted as a nerd just by using a personal computer.)

しかし、Windows95より後は、パソコンは汎用の家電製品になったと言っても良いです。

However, after Windows 95, it can be said that the personal computer has become a general-purpose home appliance.

さらに、携帯電話によってメールが電話と同等のツールとして確定しました。

Furthermore, mail was confirmed as a tool equivalent to telephone by mobile phone,

その時点を、かなり余裕を見て、10年後の2005年としましょう。

Let's look at a considerable margin and let that time be 2005, after ten years.

-----

以上より、以下の仮説を導き出せます。

From the above, the following hypotheses can be derived.

仮説1:「2005年の段階で、メールは国民の通信手段として定着していた」

Hypothesis 1: "In the year 2005, mail was established as a means of communicating with the citizens"

この仮説をベースとして、さらに検証を続けます。

Based on this hypothesis, I will continue the verification.

2005年の時点で、現役で働いていた人の最高年齢の上限を55歳と仮定します。

At the year 2005, I suppose that the maximum age limit for people working in active service is 55 years old.

当時のこの年齢より若い年齢だった人は「メールを使える環境にあった」と考えると、次の仮説が導き出せます

Thinking that the persons who was younger than this age at that time, had an environment that they could use mail". And additionally I can derive the following hypothesis.

仮説2:「現時点で、70歳の人間は、日常の通信手段としてメールを使えるはずである ―― 余裕で」

Hypothesis 2: "At the present time, a 70-year old person should be able to use e-mail as a means of daily communication with their margin"

上記の仮説2は、これを裏づける実例(メールを日常的に使い熟している人)が、私の身近(親戚)に山ほどいます(もちろん、山のような反例もありますが)。

In the above hypothesis 2, there are a lot of examples in my relatives that can prove this (they can use use of e-mail everyday). Of course, there are also many counter examples, too).

以上より、私が導く「論」は、(高齢による身体上の問題がある場合を除き)

From the above, my "theory" is, except for physical problem due to aging

「現時点において、70歳程度の人は、メールを使えないことの言い訳に、『高齢』を振りかざすことは許されない」

"At the present time, it is not permissible for elder people around 70 to use "older" as an excuse for not being able to use e-mails."

です。

-----

もちろん、これは、相当に乱暴な「論」です。

Of course, this is quite a rough "theory".

暴力そのものと言っても良いかもしれません。

This might be a violence itself.

ですから、私は、この「論」を一般化しようとは思いません。

So, I do not want to generalize this "theory".

しかし、私は、ある特定の人に関しては、この「論」を押しつけても良いと考えています。

However, I think that we can impose this theory on some specified people.

例えば、組織の運営の長たる者たちです。

For example, they are leaders of an organization.

彼らは、「怠惰」「無責任」と非難されても、それは仕方がないことであると思っています ―― 同情の余地なし、です。

-----

It cannot be helped that they are blamed for their inexecution as "idleness" and "irresponsibility". It is "No room of the pity".

少くとも、「メール」「電話会議」「ファイル共有」が、当たり前に使える私達の世代にとっては、

At least, people of the generation of mine, can use "mail" "conference call" and "file sharing" on a routine basis.

事前連絡も行わず、頻繁に定例を開き、いたずらに個人的な時間を奪って行き、

All people who don't do "prior announcement", "frequent occurrence" and rob me of time for my private activities,

何のアプローチも、努力も、工夫もせずに、「高齢」を言い訳にして、非効率を押しつける人間は、

and don't do "any approach" "any effort" and "any alternate" with an excuse of "old age", and come to put me "inefficiency"

―― 全て「私の敵」です。

are my enemies.

(続く)

(To be continued)


2019-11-01 ―― 「私は見ない」という主張と、「私がシステムを止めた」という主張に、どれほどの差があるのか

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

ここで一つの疑問が生じます。

I have one question.

「私がシステムを止めた」ということは、私しか分からない事実です。

Nobody knows that I stop the system.

世界中の誰一人として、「それ」を確認する手段はありません。

Nobody in the world can confirm it .

もしかしたら、私は「システムを止めなかった」かもしれません。

It may be that "I didn't stop it".

つまり

That means,

―― 「私は見ない」という主張と、「私がシステムを止めた」という主張に、どれほどの差があるのか

"What is the difference of my claims between "I stop the system" and "I don't watch the picture"?"

ということです。

この2つの主張が、等価に扱われていないということです。

These two claims are not treated as the same.

しかし、私も、この嫁さんの発言には、そんなに違和感を感じません。

However I also don't feel so unpleasant for her opinions.

なぜでしょうか?

"Why I did so ?"

-----

ここで、私が思い浮べたのは、特許法第29条1項2号(*)です。

What I came up is Article 29, Paragraph 1, Item 2 (*) of the Patent Law.

(*)同号にいう「公然実施」とは,発明の内容を不特定多数の者が知り得る状況でその発明が実施されることをいいます。

(*) "Public implementation" in the same item means that the invention is implemented in a situation where an unspecified number of people can know the content of the invention.

「私は見ない」という主張は、「『見えうる状態にしていない』とまでは言えない」ということです(ちょっとややこしいです)。

The claim "I will not watch" is that "I can't say "I can't watch". (although it's a little confusing).

一方、「システムを止めた」という主張は、「『見えうる状態にしていない』と言える」のです。

On the other hand, the claim "I stop the system" is "I can say "I can't watch"".

つまり同じ人間に対して(信頼性の差はあるものの)、実施する内容によって、その信用度が変化する、ということです。

In other words, for the same person (although there is a difference in reliability), the trustworthiness changes depending on the contents to be implemented.

Let me see, the analogy of thinking is similar to the story of Bayes' posterior probability (my favorite).

(続く)

(To be continued)


2020-11-01 ―― 有無を言わせないほどの圧倒的多数で、勝敗が決して欲しい

"Silent Artificial Intelligence - Why was not AI used to predict US presidential election ?"

を読み返してます。

I'm rereading it.

"It's been four years since then"

と思うと、「疾く」がごとき時間の速さに、感に入っております。

I am impressed by the speed of time, "fast".

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ところで、まだ誰も指摘されていないようですが、私は、

By the way, I don't think anyone has pointed this out yet. However, I'm worried about

―― アメリカ合衆国の内戦

"Civil War in the United States"

を心配しています。

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シナリオはこんな感じでしょうか。

Here's an example of a scenario.

(Step 1) 直接投票ではトランプ候補が勝利するものの、その後の郵便投票の結果でバイデン候補が逆転する。

(Step 1) Candidate Trump wins the direct ballot, but the results of the subsequent mail-in ballot upset candidate Biden.

(Step 2) トランプ候補が、大統領令で郵便投票の無効を宣言し、一方的に勝利宣言を発表。

(Step 2) Candidate Trump declares the mail-in ballot invalid by presidential decree and unilaterally issues a victory declaration.

(Step 3)最初にカリフォルニア州(民主党勢力)が独立を宣言、それを受けてテキサス州(共和党勢力)も独立を宣言。

(Step 3) California (the Democratic state) is the first to declare its independence, and Texas (the Republican state) follows suit.

(Step 4)各州が、州兵を州境に配置。各州知事が、カリフォルニア国、テキサス国への参入を表明

(Step 4) Each state places the National Guard on the border. Each state governor announces entry into the State of California or the State of Texas.

(Step 5)トランプ候補が合衆国内で国内で限定核(威力を限定的(?)にした核兵器)の使用を言及し、最悪、使用してしまう

(Step 5) Candidate Trump mentions the use of limited nuclear weapons (nuclear weapons with limited power (?)) in the United States, and in the worst case, he uses it.

でもって、中国とロシアが、上記の二大州のバックアップに付いたら、間違いなく人類最後の世界大戦になるでしょう。

So, if China and Russia back up the above two major states, it will absolutely be the last world war for humankind.

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4年前の私は、こんな発想すらできませんでした。

Four years ago, I couldn't even think like this.

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今の私の願いは、どっちが大統領選挙に勝利しても構わないので

My wish now is that I don't care who wins the presidential election, however,

―― 有無を言わせないほどの圧倒的多数で、勝敗が決して欲しい

"I'd like to see an overwhelming majority to win or lose."

ただ、それだけです。

That's just it.


2021-11-01 結論: 今回のコラムの「付録1」だけは絶対に読んで。特に12歳以下の子どもを持つ保護者は。

本日は、コラムがリリースされた日なので、日記はお休みです。

Today, new my column is released, so I take a day off.

-----

本日は、私のコラムの編集担当をして頂いているMさんのメールを、本人の許諾を頂いて公開させて頂きます。

Today, I would like to share with you an e-mail from Ms. M, who is in charge of editing my column, with her permission.

====== ここから ======

====== From here ======

江端様

Mr. Ebata.

お世話になっております。ご確認をありがとうございました。記事は、11時半に公開致します。

Thank you for your confirmation. The article will be published at 11:30.

確かに長いのですが、面白かったですね。

Yes, this column was long, but it was interesting.

※後輩さんのレビューを読んで、1ページ目の目次の下に「お時間ない方は、シバタレポートだけでも読んでくれ」と、追記致しました。

After reading your co-worker's review, I added a note under the table of contents on the first page, "If you don't have time, just read the Shibata Report.

次女さんのレビューを読み、ちょっとだけ思ったのは、変な言い方ですが、「恐怖心が足りない人も多数いるんだろうな」ということです。

I read your second daughter's review and thought for a moment, in a strange way, that there must be a large number of people who do not have enough fear.

一時期、「コロナを正しく恐れよう」と、ニュースなどでもいわれましたが、おそらく、死者数がかなり少ない日本人にとっては、「コロナでどんどん人が亡くなっていく」という状況を、現実のものとして感じられないんだろうなと思うのです。

At one time, there was a lot of talk on the news about "fearing Corona correctly," but I think that Japanese people, for whom the number of deaths is quite small, probably cannot feel the reality of a situation in which "more and more people are dying by Corona".

イタリアのように、死者がトラックでがんがん運ばれているわけでもなく、NYのように、火葬が間に合わず、病院の隣の巨大な倉庫に大量の遺体が保管されている、ということもなく、確かに感染者は一時期急増したけど、「コロナって本当にそんなに怖いものなの?」と感じている若い方も多いのかもしれません。

It's not like Italy, where the dead are being trucked in by the truckload, or like New York, where cremation can't be done in time and a lot of bodies are stored in a huge warehouse next to the hospital. The number of infected people has increased rapidly, however, many young people may be wondering, "Is corona really that scary?

あとは、重症がどれだけつらいか、恐ろしいかを想像しにくいということも、あるかもしれません。

The other thing may be that it's hard to imagine how painful and frightening the COVID-19 can be.

私などは、今回の「付録1」を読んだだけで「ひーーー!ぜったい、ぜったい、感染したくない!!!」と、怖くて仕方なくなるのですが…。

In my opinion, I just read this "Appendix 1" and said, "Heee! I really, really don't want to get infected! I'm so scared....

これがもし、SARSのように致死率が高かったり、エボラのように、穴という穴から出血して亡くなるという恐ろしい死に方をしたりする感染症のパンデミックであれば、外出自粛も、ワクチン接種も、全然違う捉え方をされていたかも、とも思っています。

If this had been a pandemic of an infectious disease with a high fatality rate like SARS or a horrible death rate like Ebola, where people bleed to death from holes in the ground, I wonder if people would have taken a completely different approach to refraining from going out and getting vaccinated.

私には大学生の友達や知り合いはいないのですが、もし聞けるならば「ぶっちゃけ、コロナって怖い?」と聞いてみたいです。

I don't have any friends or acquaintances who are college students. However I would like to ask them, "To be frank, is Corona scary? , if possible,

長くなりました(返信は不要です)が、シバタ先生に、くれぐれもお礼をお伝えいただければと思います。

It's a long story (no need to reply), but I hope you will let Dr. Shibata know how much I appreciate his help.

どうぞよろしくお願い致します。

I'm looking forward to working with you two.

M

M

====== ここまで ======

====== To here ======

Conclusion: Just be sure to read "Appendix 1" of this column. Especially for parents with children under the age of 12.


2022-11-01 ―― ノートPCのエディタで文章が書ければ、それだけで良い

I have written before about wanting a lightweight desktop PC that I can carry around with me.

買ってしまいました。

I bought it.

本当に本当に痛い出費でしたが、フリーアドレスのパソコンはセキュリティの観点から怖くて使えないし、これからのフリーアドレスで「ガチのコーディング」をする為にも、避けられない出費と腹を括りました。

It was a really, really painful expense, but I was afraid to use a free-address computer for security reasons, and I was determined to make it an unavoidable expense in order to do "serious coding" with a free-address from now on.

とは言え、お金を使うのであれば、PC以外のものにしたかったです。

Having said that, if I was going to spend money, I wanted it to be something other than PC.

ラズパイもPCとしてカウントするなら、我が家には10台近くのPCがあることになります。

If I count Raspberry Pi as a PC, then I have almost 10 PCs in our house.

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PCというのは『生もの』で、3年もすれば使いものになりません。

A PC is a "raw product" and will be useless after three years.

例えば、昨日のゼミでは、iPadのバックアップとして持ってきたノートPCが、全く使いものにならず、あやうくせっかく準備したプレゼンが台無しになるところでした。

For example, in yesterday's seminar, the laptop I brought as a backup for my iPad was completely useless, and I almost ruined the presentation I had prepared.

もっとも、古いOSとアプリを使い続ければ、もちろん100年だって使えます。

But of course, if I keep using the old OS and apps, I can use them for even 100 years.

でも、ここに、Officeを入れて、Teamsを入れて、VSCodeを入れて、Rを入れて、Dockerを入れて、SAIを入れて・・・てなことをやっていれば、当然にPCは使えなくなる訳です。

But if I install Office, Teams, VSCode, R, Docker, SAI, and so on, my PC will naturally become unusable.

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―― ノートPCのエディタで文章が書ければ、それだけで良い

"As long as I can write in my laptop's editor, that's all that matters"

という、世界であれば、私は、10台ものパソコンを管理する必要はなかった訳です。

In this world, I would not have to manage 10 computers.

その文章に図や表を入れたいだの、計算をしたいだの、シミュレーションをしたいだの、100万のオブジェクトを使いたいだの、 ――

I want to put figures and tables in that text, I want to do calculations, I want to do simulations, I want to use a million objects, I want to--

そういうことを望むから、毎年、PCが『腐っていく』のです。

That's what I want, and that's why the PC 'rots' every year.


2023-11-01 位相と周波数の異なる複数の三角関数の四則演算を、"i"を使った式だけで表わせる、って感動しませんか? しないか。ダメか。

I skipped the first 3/4 of the NHK program "Mathematics without Laughter: Imaginary Numbers" and watched it from the point where imaginary numbers are explained.

『うーん、やっぱりこういう説明になってしまうか』

'Hmmm, I am afraid that's the explanation after all.'

と、ちょっと残念でした。

I was a little disappointed.

いや、もちろん番組としては「とても良い」のです。

No, of course, it is "very good" as a program.

ただ、虚数が、私たちの生活に入り込んでいる、という意味の解説として、「シュレーディンガ方程式」を出すのは、ちょっと厳しのではないかなぁ、と。

However, I think it may be a bit harsh to offer the "Schrodinger equation" as an explanation of how imaginary numbers have entered our lives.

例えば、私が、以下の板書を使って、シュレーディンガ方程式を分かって貰えるか、と考えれば、『そりゃ無理だろう』と思えるんですよね。

For example, if I were to ask myself if I could get my daughters or my wife to understand the Schrodinger equation using the following board, I would think, 'Well, that would be impossible.

「バネの運動方程式と同じだよ」といっても、全く無駄な気がします。

It seems futile to say, "It's just like the equation of motion for a spring."

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『虚数は、とっても便利な道具』という観点から説明できないかなぁ、と思うんですよ。

I wonder if it could be explained in terms of 'imaginary numbers are a handy tool.

位相と周波数の異なる複数の三角関数の四則演算を、"i"を使った式だけで表わせる、って感動しませんか?

Isn't it impressive that we can express the quadrature operations of multiple trigonometric functions with different phases and frequencies using only "i" expressions?

しないか。ダメか。

Not? No-no.

私は、『計算が分からなくなったら、とりあえず、オイラーの公式に叩き込んでみる』てな、雑な感じで使うんですけどね。

I use it crudely to say, "Whenever I am at a loss for a calculation, I just try to apply them to Euler's formula.

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My recommendation is "An imaginary number is a 90-degree rotation," described here.

And so, the second half of this description (the conversation with the second daughter) is an example of the appearance of imaginary numbers in the real world.

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『虚数は、便利な道具として使い倒すモノ』が、浸透すれば良いのですが。

I hope that "imaginary numbers are a useful tool to be used and put to good use" will become widespread.

しかし、我が国は「三角関数不要論」が不定期に上がってくるくらいですから、ここ100年くらいは(というか100年後ですら)ダメなような気がします。

However, since our country is so irregular in devising the "no trigonometric function needed" theory, I feel that it will not work for the next 100 years (or even 100 years from now).