私の場合、出国時の空港のセキュリティでの、キャプチャー率は、軽く50%を越えます(ちなみにヒースロー空港では100%)。
人相悪い、変な形状の荷物多い、無駄に情報機器が多い。
仕方がないことですし、このセキュリティチェックがテロを防止してくれているのだと思えば、特に腹は立ちません。
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しかし、先日、ヒースロー空港のイミグレーションを通過し、ターンテーブルで荷物を受け取った後で、空港警察官(セキュリティ)に掴まりました。
# 日本人としては、相当珍しい事例ではないか、と思っています。
その時の私の服装は、
○膝まである漆黒の防寒着に、黒のキャップを着用。
○iPodのヘッドホンを装着し、黒のリュックサックを背負い、
○黒のサイドバッグを肩からかけて、
○銀色のハーフサイズのスーツケースを携行
仕事のことを考えながら歩いていたので、随分厳しい顔をしていたんだろうと思います。
前にも書きましたが、確かに「特殊工作部隊の狙撃手」のようにも見えます。
いわゆる「職務質問」というやつだろうと思います。勿論、対応は丁寧でしたけどね。
ボディチェックこそされませんでしたけど、荷物という荷物は、は全部開示させられました。
ここから、拳銃か、ライフルの部品が出てきたら、結構面白いことになるだろうな、と思いながら、冷めた目でセキュリティサービスの荷物チェックを眺めていました。
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なんか、英国が、全力で私に嫌がらせをしている気がしてきました。
最近、日記に英語を併記していますが、これには深い理由があります。
Recently, I write the English translations for my daily column, but I have deep reasons for this my actions.
それは今月16日にリリースされる、私の「英語に愛されない」シリーズのコラムで発表致される予定です。
The reason is going to open to my serialized column of 「Not loved by English」at the 16th this month.
しかし、まあ、この「英語併記」の評判の悪さは、これまでになく激しいものになっております。
By the way, the above criticize of this putting down with English sentences, become more and more burned day by day.
あまりもの評判の悪さと、その内容の面白さで、先日編集部の担当の方に、私から「このネタで一本書かせて下さい」と申し入れたくらいです。
The other day I asked the editor office to offer a new column about these problems, because they were very terrible, and more over, they were interesting.
それはさておき。
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「江端さんは、『リアエイ』なんですよ。私たちのような『プアエイ』とは違う世界に住んでいるんですよ」
"Mr.Ebata. You are "REA-EI". You live in another world that differs from our "POR-EI" world.
「『リアエイ』とか『プアエイ』とか、何のこと?」
Um? What does "REA-EI", "POR-EI" stand for?
「リアルに英語に愛されている人が『リア英』、私たちのように英語に見捨てられた、可哀想(Poor)な人間が、『プア英』です」
"REA-EI" stands for "Real English", that means the persons who are really loved by English. The other hand, "POR-EI" is "Poor English". That is "US". We can use really poor English only.
「それは、私の本意ではないぞ。私は『プア英』の中の『プア英』だぞ」
That is your misunderstanding. I am not "REA-EI" but "POR-EI" truly.
「そこですよ、江端さん。『リア英』の人は、自分を『プア英』と思い込む顕著な傾向があり、そんでもって、そういう『リア英』は、本当に爆発してしまえばいい、と思えるほど、ムカツクんですよ」
That's it, Mr.Ebata. The persons of "REA-EI" incline to cling to an idea that "I am POR-EI". And I want the person to be blasted perfectly, and disgust us "POR-EI".
私は、自己のアイデンティティが崩壊する程の衝撃を受けました。
I was shocked to hear his talk, feeling identity crisis.
その衝撃をなんと例えたら良いでしょうか
How do I express the collapse of my spirit?
―― 実は私には出生の秘密があって、『実は今上天皇陛下のお子であり、皇位継承権第一位の皇子なのだ』 ―― と言われたくらいの、衝撃でした。
For example, "In fact, I am a son of His Majesty the Emperor, and a prince who is the first in the succession line"
「・・・この私が、『リア英』?」―― という話を含めて、いろいろな『プア英』『プア英』が満載となるコラムとなる予定なんですよ。
The above story including, I want to write the new column about a full of "REA-EI", "POR-EI".
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ね、読みたいでしょ? 皆さん。
How do you like to read the column?
うん、私も書きたい。
Yes. I want to write it down soon too.
先日、NHKのクローズアップ現代で、「広がる"読書ゼロ" ~日本人に何が~」という特集が組まれていました。
A few days ago, I watched the TV program "Expanding Zero-reading. What happens in Japanese" in NHK docutainment.
まあ、結論から言うと、「読書をしないと論理的思考ができなくなる」といういつも通りの話でした。
In conclusion, it was an ordinal story "No reading, no logical thinking".
―― アホか
"Dumb"
と、思い、そのままチャンネルを変えてしまいました。
I changed the TV channel soon.
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男性:「1年くらい読んでない。」
Man:" I haven't read a book for one year"
女性:「3年に1冊読めばいい。」
Woman: "One book each for three years"
という話は、多分事実だろうし、その理由として、スマホの利用で代替されている、という話は、概ね、正しいのでしょう。
I think that their phrases are true, and it is also right that the reason is to be using smart phones.
私は、その「読書時間を奪う側」としても活動しているのですから(この日記)。
I am a person who robs them of their reading time (and writing this diary).
先日も書きましたが、読書は娯楽の手段なのだから、スマホがそれより大きな娯楽を提供するのであれば、それは当然というものです。
The other day, I wrote that reading is a kind of entertainment, so it is natural that they lose the time to read.
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私がカチンときたのは、「読書をしないと論理的思考ができなくなる」という方向へのまとめ方です。
What I was annoyed that the program tried to lead a conclusion "No reading, no logical thinking".
結論から言いましょう。
To tell you the truth,
「どんなに本を読んでいても、論理的思考できない奴なんぞ、腐るほどいます」
Many people cannot think something logically, even if they read a lot of book.
番組では、読書家の学生とそうでない学生に分けて、レポートを書かせて、そのレポートの内容で、「読書家が論理的なレポートを書ける」という結論にしていたようです。
The program tried an experiment that dividing students who read frequently from students who don't read firstly, make both students write a report. Finally, the program concluded "Students who often read books can make a local report".
残念ながら、理的思考や論理的レポート作成のリテラシーは、読書の時間とは無関係です。
I am very sorry that there is absolutely no relationship between logical-thinking/reporting and reading habit.
「論理的である」とは、論理的思考の訓練をして、テクニカルライティング技法を徹底的に叩き込まれた上で、論理的に考えるという「強い意思」で達成できるものです。
"Being logical" is going to realize by the logical-thinking and technical writing trainings and the strong intention to think logically.
本を読んでいるだけで、「論理的な自分」になることができると思っているのであれば、
If you think that you make you a logical person by reading books only, I am going to thunder out
―― 甘ったれるな
"Don't be spoiled!"
と、一喝します。
(続く)
(To be continued)
各種の計算ツールを準備して、
I have prepared for many analysis calculation tool,
この夏から頭の中で温め続けてきた、
and I have been thinking my hypothesis, again and again since this summer,
However,
私の「ダイエット仮説」が、
Last weekend, the hypothesis of "diet" was exploded
この週末、
私のシミュレーションによって、
by my simulator
木っ端微塵(こっぱみじん)となりました。
perfectly.
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酷く落ち込んでいますので、
I am exhausted in the hell now.
今は、そっとしておいて下さい。
Please leave me alone for a while.
(今月号の連載をお楽しみに)
(Please wait for my this month column.)
(Continuation from yesterday)
ネット空間でつながる以前に、ご近所と挨拶することや、隣の席の異性に声をかけるほうが、よっぽど優先度高いことだろうに、と思います。
I think "to say hello to your neighborhood" or "to talk to the opposite sex of the next seat" probably are high priority than to connect on the net space.
私は、家族や友人との間では、「楽しむ手段として」コミュニケーションを行いますが、仕事にあっては「コミュニケーションは情報伝達の手段」に過ぎません。
In my case, I use a communication as a means of "enjoying" with family and friends. On the other hand, for my work, a communication is only a means of media vehicle.
ましてや、ネット空間における「ヌルくコミットした関係」なんぞ、完全にスコープ外です。
Moreover, "looser committed relationship" in the net space, is completely out of scope.
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私は、現実の世界とネットの世界を分離して考えません。
I do not consider separating the real world from the net world.
「分離して考えなければならない」などいう理屈に、一度たりとも同意した記憶はありません。
I do not remember to agree to the theory of such a way.
「作品を公開する創作者は、どんな批判や非難にも耐えなければならない」などという、訳の分からん理屈にも、一度も同意したことはありません。
I have never agreed to an unknown reason of "anyone who make and open their work, should endure unfounded criticism and condemnation"
『一方的に勝手なルールを作ってんじゃねーぞ』と、思っています。
I am thinking "You do not making one-sided selfish rules."
電子メールであろうが、SNSであろうが、これまでも、これからも、私は、実世界のルールで対応しますし、それを他人に強要もします。
Even if it e-mail SNS, and others , I will respond to them with real world rules, and I will compel it to others.
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といっても、私にメールを送ってくる人は、特に構えて頂く必要はありません。
Even if so, people who want to send a mail to me, do not have to be careful particularly.
―― この私をいい気持ちにさせる文面
"A content that makes me feel good"
その一点のみに留意して頂ければ、概ね、問題にはなりません。
If you pay attention to the point only, there will not be a problem in general.
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追記
P.S.
書き忘れていましたが、
I forget to write down, however,
パソコンやその周辺装置に関する設定については、
I never response any kind of mails about PCs and support equipments
―― どんなに完璧な内容のメールであっても、
even if it is respectful perfectly.
私は、一切応答しません。
100%例外なく、不快な思いをさせられるからです。
The person causes me much discomfort without any exception .
先程、図書館から借りてきた「光秀の定理」を読み終えました。
I finished reading "Mitsuhide's theorem" borrowed from the library earlier.
―― 面白かった
"It was really interesting"
確率論、ベイス定理、そしてモンティーホール問題までも含めた、「明智光秀」の人生を描く歴史小説 ―― これを私が読まない訳がない。
A historical novel of the life of "Akechi Mitsuhide", including probability theory, Baise theorem, and Monty Hall problem. There is no reason why I will not read this book.
書店に出ていた時に、衝動買いしようとしたのですが、「お金がない」以前に、私の部屋には本を置くスペースがなない。
When I found it at a bookstore, I tried to buy it. However I have much money to buy it, and no space to place it in my room.
で、まあ、そのまま忘れていたのですが ―― 書架に見つけた時は嬉しかったです。
Well, I forgot it. So when I found it on the shelf in the library, I was very happy.
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数学の用語を一切使わずに、織田信長に、事後確率の話をするシーンには、舌を巻きましたし、
Without using mathematical terms at all, I was astonished in the scene where the monk of the character talks about "posterior probability" to Oda Nobunaga,
「明智光秀」の歴史小説でありながら、「本能寺の変」のシーンを全部省略、という前代未聞の試みは「見事」の一語に尽きました。
Despite being a historical novel of "Akechi Mitsuhide", it was "brilliant" to omit all the scenes of "Honnoji Incident".
特に、最終章の「本能寺の変」の何故(Why)を、光秀の定理(レンマ)という形で読み解く当たりは、圧巻でした。
Especially, the part in the final chapter to solve the mystery of "Honnoji Incident" from the view point of Mitsuhide's theorem is a really masterpiece.
ただ、『図面を使って説明すれば、多くの読者にも分かりやすくなったんじゃないかな』とも思いますが、それを敢えてしないところが、「小説の美学」というものなのかもしれません。
However, I think that "It may be easy for many readers to understand by using drawings,", however I also think that it might be "aesthetics of novel" ,not to dare to do it.
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この小説の「モンティーホール問題」が、私達に教えることがあるとすれば、
This novel's "Monty Hole problem" might teach us that
―― 状況が変化したら、とにかく動いて、今の状態を変えろ "
If a situation changes, do something and change the current state."
と言うことだと思います。
(Continuation from yesterday)
私、『林先生が驚く初耳学』という番組が結構好きで、よく視聴します。
I like the quiz program whose title is "Be new to Dr.Hayashi" and watch it.
で、この番組では、しばしばダイエットに対する特集が組まれます。
This program often make a feature of "new diet method"
で、どこぞの大学の先生が考案した(と言われる)ダイエット法が、実証実験の結果とともに紹介されています。
The "new diet method" that a professor at some college seems to invents, is going to be opened with the result of experimental trial.
私、その大学の先生が執筆された、そのダイエット法に関する論文を、今迄、ただの一回も見たことがないのです(もっとも、私の探し方が足りないのかもしれませんが)
Previously, I tried to search the paper of the new method, which he/she might have completed their dissertation. Unfortunately, I have never found the paper before. Of course my research might be not incomplete.
とは言え、報道に関わる番組が、大衆に対して、公にしているダイエット法なのです。
However, it is a new diet method that has already been opened by administrative mass media to public people.
ならば、番組のホームページで、実験環境と被験者の基本データ、実験方法、その結果の推移をきちんとした数値データで開示することは、報道に関わるものの、当然の責務ではないかと思うのですが ――
If so, at the homepage of the program, it is natural that the press has a responsibility to open the information of experimental environment, person being tested, method of experiment and results using numbers.
私、何か間違ったこと、言っていますか? (娘からは『黙ってテレビを見ろ』と言われています)
Do I say something wrong ? (My daughters say to me "Watch the TV quietly")
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是非、協力させて頂きたいのです。
I would like to cooperate by all means.
私は、無償で、数式や法則、コンピュータ、その他、ありとあらゆる手段を尽して、そのダイエット法の仮説を論理的に導いて見せます。
I will logically guide the hypothesis of that diet method by formulas, laws, and computers, free of charge.
なんなら、私自身が「被験体」となって「追試」をしても構いません。
If they don't mind, I will be "subject" and do "replicate".
私だけでなく、その論理を提唱した大学の先生と、世間の皆さんを納得させる、Win-Win-Winな申し出になっていると、確信しております。
For not only me, but also the college professor and everyone, I am convinced that everyone is going to be "win-win-win"
さらに私は、その追試の結果が「良い」ものであれば、私は、自分の著作の中で大々的に紹介する用意もあります。
Furthermore, if the result of that replication is "good", I will introduce the theory and result extensively in my works.
大学の先生、または、番組担当者の方からのご連絡を、お待ち申し上げております。
We are looking forward to the contact from the university teacher or program staff.
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あと一つ、私には、ずっと気になっていることがあります。
One more thing, I have a "thing" that I have been worried for a long time.
多くの知見を持ち、素晴しい論理的思考と、プレゼンテーションの能力を有する、あの林先生が、
Dr.Hayashi, who has much knowledge, wonderful logical thinking, and presentation ability,
『ダイエットについてのコーナーについてだけは、一切コメントをしない』
"He will not comment at all about diet issues"
ということです。
これも、私の見落とし、または、見間違いかもしれませんが。
This may also be my overlook or mistake.
私は、今は、飲酒していません。
I am not drinking now.
However, once you read this, you will understand that my way I drank at the drinking party was not sloppy.
とは言え、
However,
■酔客が駅のホームから転落して、ダイヤを混乱させる
- Drunk customers fall from the platform of the station and disrupt the diagram
■通路に撒き散らされた嘔吐物が、人流に滞留を発生させる
- Vomitus scattered in the passage causes stagnation in human flow
というのは、大変迷惑なことです。
That is very annoying.
経済損失もハンパではありません。
Economic loss is not a hamper.
私も、帰宅時には、疲れ果てていますので、本気で勘弁して欲しいです。
I'm exhausted when I get home, so I really want you to take it.
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車の運転については、「飲んだら乗るな」は、交通事故の発生に関係なく、発覚だけで刑事罰対象の重大犯罪で、一発で人生を破滅させます(一般的な会社では、有罪確定判決前に、懲戒解雇となる)。
Regarding driving a car, "Don't ride after drinking" is a serious crime subject to criminal punishment by just detecting it, regardless of the occurrence of a traffic accident. (In a typical company, disciplinary dismissal will occur before conviction).
そこで、提案ですが、「飲んだら乗るな」を鉄道、バス、タクシーの乗車まで拡大してみる、というのはどうでしょうか。
So, as a suggestion, how about expanding “Do not ride after drinking” to trains, buses and taxis?
これを実施すれば、普通に考えれば、飲食業界は壊滅です。
If we do this, the food industry is devastated.
「飲み会」という文化も、突然の終焉することになるでしょう。
The culture of "a drinking party" will end suddenly.
ただ、宿泊業界は、活性化するかもしれません。
However, the lodging industry may be revitalized.
「飲み会は、宿泊を伴う」というのが、普通になれば、それはそれで興味深いです。
It's interesting when it comes to saying that "a drinking party accompanies accommodation".
観光業界や、アルコール業界のシェア拡大にも資するかもしれません。
It may also help increase the share of the tourism and alcohol industries.
しかし、これは問題をただ別の場所に移動しているだけのことかもしれません。
However, this may be just moving the problem to another location.
ここまで徹底すると「飲んだら来るな」という宿泊施設も、登場するかもしれません。
If we are thorough up to this point, an accommodation facility that says "do not come after drinking" may also appear.
I have already told you that it would be really bad to do something like the Prohibition Law.
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しかし、たった一人の酔客が、交通インフラ利用者数千人に影響を与えるなら、それは、規制対象になっても良いような気がしますし ――
However, if only one drunk customer affects thousands of traffic infrastructure users, they can be regulated, I think.
このへんの匙加減が難しいですよね。
It's difficult to adjust this.
私が、将来、どういう理由で死亡するのかは、当然に不明です。
It is naturally unknown for what reason I will die in the future.
しかし、現時点で、確率の高いものを挙げることはできます。
However, at this point, I can name a few that have a high probability.
―― 誤嚥性肺炎(ごえんせいはいえん)
"Swallowing pneumonia"
です。
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ここ1年の間、唾液や食べ物を飲み込むときに、誤って気管に入ってしまうこと 「誤嚥(ごえん)」が多発しています。
In the past year, there has been a large number of cases of aspiration, which is the accidental ingestion of saliva or food into the trachea.
頻度で言うと、2~3日の間には100%。
In terms of frequency, 100% within two to three days.
そして、誤嚥の発生期間は、どんどん短くなってきています。
And the duration of aspiration is becoming shorter and shorter.
気管に食べ物などが入ってしまった場合に、通常「むせる」ことで気管から異物を排出する反射機能が働きます。
When food or other substances enter the trachea, the reflex function to expel the foreign substance from the trachea is usually activated by choked.
誤嚥性肺炎とは、この機能が鈍ることで排出できなかった異物が肺に入ったままになってしまい、肺の中で炎症が起こることをいいます。
Aspiration pneumonia refers to inflammation in the lungs caused by foreign substances that could not be expelled due to the slowing down of this function and remain in the lungs.
加齢によって噛む力が弱くなったり、舌を動かす筋肉が衰えたりすることで、食べ物を飲み込む嚥下機能が低下することによって発生します。
It is caused by a decrease in the swallowing function of food due to weakening of the chewing strength and the muscles that move the tongue as a result of aging.
私は、まだ高齢者のカテゴリーには入れて貰えていない立場ですが、それでも、老化による機能低下を日々感じられるようにはなってきています。
Although I am not yet in a position to be included in the category of the elderly, I can still feel the decline of functions due to aging every day.
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どの世代であっても、自分の老化を実感します。
No matter which generation you are, you will feel yourself aging.
私の娘たち(大学生と高校生)ですら、「歳を取った」と言っているくらいです。
Even my daughters (a college student and a high school student) are saying that they are getting older.
まあ、私も、30歳台でも、40歳台でも、同じ様なことを言ってきました。
Well, I have said similar things in my 30's and 40's.
老化は、自然現象です。
Aging is a natural phenomenon.
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「自分が歳を取った」と実感するパターンには2つあります。
There are two patterns of feeling that you are getting old.
(1)"ある日突然に"
(1)"One day, suddenly"
と、
and
(2)"日々、序々に"
(2)"Day by day, step by step"
です。
「誤嚥」は、上記(2)のパターンに当てはまります。
"Aspiration" fits into the pattern described in the (2) above.
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どういう死に方をするのか、(基本的に)私に選択権がないのは不愉快ではありますが、
I'm uncomfortable with the fact that I (basically) don't have a choice in how I die.
『最小最低限の苦痛と恐怖』
"Minimal pain and fear"
をお願いしたい ―― 誰に向って言えばいいのか分かりませんが ―― と、祈っています。
Though I don't know who I'm supposed to be talking to, 'm praying for it.
ドラマ「おいしい給食」が面白い ―― もう、めちゃくちゃに面白い。大爆笑です。
The drama "Delicious School Lunch" is so funny -- it's already crazy funny. I'm laughing so hard.
映画「サムライせんせい」つながりで、俳優 市原隼人さん主演作品を探したら、すぐに出てきたのが、この「おいしい給食」。
In connection with the movie "Samurai Sensei," I looked for a movie starring actor Hayato Ichihara, and this "Delicious School Lunch" came up immediately.
何しろ、コンセプトからして凄い。
In any case, the concept is amazing.
「『私は給食が好きだ。給食のために学校に来ているといっても過言ではない』と言い切る教師」
A teacher who says, "I love school lunches. It's no exaggeration to say that I come to school for the lunches.
これは、もう、グルメドラマの新基軸であり、教師像のパラダイムシフトとも言っても過言ではありません。
It is no longer an exaggeration to say that this is a new standard for gourmet dramas and a paradigm shift in the image of teachers.
この週末で、Season1 → 映画 → Season2を一気に見てしまうという、異例のハマり方をしてしまいました。
This weekend, I watched Season 1, the movie, and Season 2 all at once, which is an unusual way to get hooked.
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江端家で「給食」の話をすると、ジェネレーションギャップがあるのは当然として、同じ世代であっても地域差があることが分って興味深いです。
When we talk about "school lunches" in the Ebata household, it is interesting to see that there is a generation gap, and of course, regional differences even within the same generation.
私は、「ごはん」を食する機会はなかったのですが、嫁さんは普通に食しているようでした。
I didn't have a chance to eat the "rice", but my wife seemed to eat it as usual.
また、娘たちと「ソフト麺」という概念を共有できなかったことにも、驚きました。
I was also surprised that I did not share the concept of "soft noodles" with my daughters.
思い返せば、私は「カレー麺」「おぼろみそ麺」の出る日は、テンションが上ったものです。
Looking back, I used to get excited on days when "Curry Noodles" and "Oboro Miso Noodles" were delivered
一方、レーズンパンでは、テンションが下がりました(嫁さんは上がったそうです)
On the other hand, I was less excited about the raisin bread (my wife said she was more excited).
一方、給食のおかげで、私は、(1)「餃子の王将」で、八宝菜が美味しいものであることを知り、(2)「北欧」で、世の中には、真に美味しいパンがある、と知りました。
On the other hand, thanks to school lunches, I learned (1) "Happousai" are delicious at "Gyoza no Ohsho" that , and (2) there are truly delicious breads in the world at "HOKUO"
思い返せば、給食というのは、英語教育で言うところの「キーセンテンス」であり、数学教育で言うところの「二次元方程式の解法」であり、日本国民の食文化の「国内標準規格」の役割を担っていたと思います。
Looking back, I think school lunches were the "key sentences" in English education, the "solutions to two-dimensional equations" in mathematics education, and played the role of "national standards" for the food culture of the Japanese people.
それはさておき。
Aside from that.
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私、社内の派閥闘争とか、恋愛関係とか、感動の再開とか、そういう、面倒くさい人間関係のドラマは、お腹いっぱいなんです。
I've had enough of tedious human relationship dramas such as internal factional struggles, romantic relationships, and emotional reunions.
『自分の欲望(給食を食べる)の為だけに、教師という人生を生きる』
"I live my life as a teacher only for my own desire (to eat school lunch)"
『生徒も、学校も、同僚も、その目的達成の為の手段でしかない』
"Students, schools, and colleagues are only means to that end."
なんという清々しい生き方でしょうか。
What a refreshing way to live.
現代の私たちに欠けているのは、『自分さえ良ければ、それ以外の事はどーでもいい』という、徹底した私利私欲の精神です。
What we lack today is the spirit of selfishness that says, "As long as I am good, I don't care about anything else".
このドラマには、モラルや人間関係や常識やそういうものは、全てノイズである、という割り切りがあります。
In this drama, morals, relationships, common sense, and other such things are all just noise.
加えて、そのノイズの向こうにある目的が、「給食」という、日常的に十分スコープに入るものである、という設定もステキです。
In addition, the setting is wonderful, as the purpose behind the noise is "school lunch," something that can be scoped out on a daily basis.
私たちは、わざわざ、手に入り難いものを目標にする必要はないのです。
We don't need to go out of our way to set goals that are hard to obtain.
このドラマは、『私たちは、日常の中で、自分を幸せにするものを見つけられる』という勇気も与えてくれます。
This drama also gives us the courage to say, 'We can find things that make us happy in our daily lives".
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という訳で、「おいしい給食」、ご視聴をお勧め致します。
So I recommend you to watch "Delicious School Lunch".
『最近笑っていない』と思う人には、特にお勧めします。
If you think you haven't laughed in a while, this is a good place to start.
英語に愛されないエンジニアの、英語プレゼンテーションのカンニングペーパーです。
This is a cheat sheet for an English presentation by an engineer who doesn't love English.
私、思うんですが ―― 日本人の多くが、英語を使って戦う時って、こんな感じじゃないかな、と思うんです。
I think -- this is a typical style when we Japanese fight using English.
つまり
That means,
―― 格好なんぞつけている場合か
"Don't be cool"
です。
次女が、
I was honestly surprised to see my second daughter grumbling,
『クリスマスに一緒に過す男がいない』
'I don't have a boyfriend to spend Christmas with.'
とグチっているのを見て、正直驚きました。
私は、自分勝手にも、そういうパラダイムはとっくに「終ったもの」と思い込んでいました。
I had selfishly assumed that such a paradigm had long since "ended."
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私、20年ほど前に、クリスマスに関する、いろいろなコラムをリリースしていました。
About 20 years ago, I released several columns about Christmas.
The following column discusses the significance of spending time with the opposite sex at Christmas.
The following column is a review comment from a firm's senior member regarding the above column.
In addition, two years after this, I also released a diary criticizing the "instrumentalization of Christmas."
いずれにしても、私が、クリスマスというものに、高い関心を示していたことはまぎれもない事実でした。
In any case, it was undeniable that I was highly interested in Christmas.
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今、30年の時を経て、そのパラダイムが1mmも変化していない、ということに、驚きを隠し得ません。
Now, 30 years later, I cannot hide my amazement that the paradigm has not changed.
『クリスマスに一緒に過す恋人がいない』という嘆き(あるいは、呪い)の言葉は、多分、今後100年以上も引き継がれていくのだろう、と、しみじみと実感しております。
I am deeply aware that the lament (or curse) that "there is no one of the boyfriends or girlfriends to spend Christmas with" will probably be passed on for the next 100 years or more.