今、「NHKスペシャル シリーズ日本再生「どうするエネルギー政策」」の録画を見ています。
番組紹介の内容は以下の通り。
いま、日本のエネルギー政策が問われている。原発の再稼働は?燃料費が急増する火力発電は?再生可能エネルギーは?どのようなエネルギー構成を目指すのか、徹底討論する。
現在、7人のパネラーが議論をしているのですが、私が不思議に思っているのは、一つ。
―― なんで、板書しないんだろう
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人間はロジックで理解しにくいことでも、図解すれば理解できることが多いのです。
でっかい白板のパネルを用意して、自分で図解しながら説明し、また他の人にその図を修正して貰いながら、議論を集中していく、という方法は本当に有効なのです。
議論の観点がぶれない、という点も良いです。
同時に、自分や他人の「間抜けな意見」も一瞬に明らかになります。
例えば、日本の核燃料サイクルの問題について議論している途中で、
「国際的な共通核燃料施設について議論をすべきだ」などという、
全く、タイミングも内容もナンセンスな発言も、その場で、残らず板書で残せば良いのです。
私は、その板書のコピーを持ち歩いて、そいつを一生嗤ってやる、と思っています。
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私の場合、何かを考える時に、ノート、板書なしに行うことは絶対に不可能です。
また、誰かと話をする時に備えて、いつでもA4かA3の紙を持ち歩いています。
私が話を聞きながら書き込んでいくと、話をしている人が、そこ紙に書き込みを始めることが多いです。
私が「いいよ」ともいっていないのにもかかわらずです。別に失礼とも思っていませんし、逆に助かります。
記憶を一度、自分の外に出してみないで、どうやって自分の考えを客観的に見ることができるのか、私には不思議で仕方ないのです。
と、ここで「はっ」と気がつきました。
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実は、図面のような実体化をしなければならないのは、単に私が「頭が悪い奴である」為であるだけなのかもしれない。
私以外の多くの人は、そのような「見える化」をしなくても、物事を整理して理解できているのかもしれない。
でもなぁ、どうにも、そう思えないんですよね。
このNHKのパネルディスカッションを見ている限りでは。
今日は年休を取って、実家の確定申告に行っていました。
I took a paid holiday, and went to country home to proceed final income tax return.
当然、e-Taxシステムを起動する為に、父と母の住基カードと電子認証を得る ために、朝から役所を走り回っていました。
I had to run around a city hall in order to get Basic Resident Register card and digital certification for both father and mother all day.
今回、色々あって、役所のコンピュータセキュリティシステムに関する、「ザル」のような運用を間の当たりにして、愕然としました。
I want to omit the details but I was amazed to know easy computer security managements in the government office.
―― うん、これなら簡単に破れる
I convinced me that
"It's piece of cake to break the system."
という確信を得ました
が、これはもう少し経過してから、お話します
I am going to tell you the story later.
(散々警告してきたので、今頃必死の対応中だと ―― 信じたい)。
I have warned them about the dangers, so I want to believe they are making repairs on the system.
ま、あっちに走って、こっちに電話して、実家の税金、保険、その他について、一日で調べ回り、いまクタクタになって帰宅した所です。
Anyway I go and call to anywhere in order to know taxes and insurances of my country home, and I came back to home with be exhausted.
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そんな父を見た、娘(長女)が言いました。
My daughter told me that,
「パパって、いつでも忙しくて、無駄に疲れているね」
"You are always busy and look like be tired in vain"
「まあ、暇なより、忙しい方が、性に会っていると思っているけどね」
I answered that "I admit that I prefer busy to free by nature."
と私は応えていいました。
「パパ、ちょっと動き過ぎだと思う」
"Papa you seems to be too busy to do anything."
「いや、世の中には、もっと働いている人がいるよ。これまで、漫画家や、政治家や、社長のような人達にインタビューしてきたけど、みんな、エネルギッシュだったよ」
"There are a lot of persons who always more busy than me, for example, cartoonists, politicians, presidents. All of them look like energetic."
「でも、それって凄い人達のことでしょう?」
"But, they are great people aren't they?"
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―― お前、今、さりげなく失礼なこと言ったな。
"Hey you. You now, said something rude casually."
先日、通勤電車の中で、
The other day, in my commute train,
若いニーチャンが、目を輝かせながら
a young man, getting stars in his eyes, was muttering
「ふっふっふっ・・・、聞け! 諸君!! 自由こそ全てだ!!」
と
"Fufufu.... Listen to me, my blood brothers! Freedom is all"
ブツブツと呟いていました。
知的機能に制約がある人みたいでしたが、どうやら、アニメの主人公になりきっている感じでした。
He seemed to be a person who loses his some intellectual functions, and to identify with a leading character of an animation.
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彼につられて、
Falling for him,
―― 諸君! 『自由こそ全てだ』というテーゼは本当だろうか?
"My fellow citizens. Is the thesis of "freedom is all" true?"
―― 敬意や礼を前提としない自由が、本当に自由に許されるべきだろうか?
"Can we allow to use the word "freedom" without respects and courtesy?"
と、
思わず、通勤電車の中で、演説したくなった私でした。
Accidently I wanted to start my speech in the commute train.
以前、ロンドンのヒースロー空港で、警察に拘束されたという話をしました。
The other day, I wrote that I had been captured by Scotland Yard in Heathrow Airport.
それは、私の格好が、どこぞの組織の襲撃部隊のように見えるからです
I could know the reason, because my sight looked like a member of special attack team in some organization.
ですから、どの国でも、私は、大人しく、友好的、かつ積極的に、警官の職務質問に応じることにしています。
So I used to respond affirmatively and friendly to police checkup at any country.
(ちなみに、私にとって「職務質問」は結構な日常なのですが、その話を、飲み会などですると、ビックリされて、逆にこっちがビックリします)
For me, "a policy check up" is in common. Whenever I talk about the story in drinking party, for example, I was surprised to watch the persons who were surprised to hear the story.
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最近は、花粉症対策でマスクをすることで ―― どこから見ても、
Recently, in hay fever season, I have to mask out of doors, so my sight becomes
『テロリストの襲撃部隊のリーダ』
a leader of attack team of terrorist.
この姿で、モスクや礼拝堂以外の場所で「アッラーフ・アクバル!」と叫んでみたら、多くの人がどういう反応するのか見てみたい ―― そんな衝動に駆れれることがあります。
I sometimes act on impulse to shout "allahu akbar!" further than mosque or place of worship, in order to watch people's faces.
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昨日から、朝5:30に起床して、次女と一緒に、登校、出勤しています。
From yesterday, I wake up at 5:30, and go to my office with my second daughter.
駅までの時間は徒歩で30分弱ですが、次女の方が歩行速度が遅いので、私が5分遅れて家を出ることにしました。
It takes less than 30 min to the station on foot, however, she is walking slower than me, so I decided to leave home, 5 min, later than her.
で、今朝実際に、この時差出発を実施してみたのですが、
This morning, we did this trial indeed,
次女と私の距離が近づくにつれて、
The closer the distance between she and I becomes,
―― 女子中学生の拉致を計画しているテロリストが、少しづつ近付いてきている
the closer the distance between a girl and a terrorist also becomes.
という絵にしか、見えない。
I could see nothing but the above scene.
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多分、通報されるのは時間の問題だろうなぁ、と思いながら、「この状況で通報すらされなかったら、それはそれで困るなぁ」とも思っています。
I am afraid that it's a matter of time before being alerted by neighbour,however, if anybody doesn't do any action, it should be a serious problem too.
『あの「テロリスト」は、実は少女を守る「ガーディアン」だった』 ―― という話が認知されるまで、ざっと2年と見積っています。
I think that at least two years might be needed a fact that "the terrorist is actually the girl's guardian".
いずれにしても、「職務質問」されたら、また、ご報告致します。
Anyway, when I am checked up by the policy, I am going to tell you in detail.
AI技術に関する連載を担当させて頂いていることもあり、最近AI技術に係わる方とお話する機会が多くなりました。
Thanks to give me works of writing about AI technology, I have had chances to meet some person who engages AI's application.
その様な方の話を聞いていると、このようなフレーズを頻繁に聞きます。
When I talk to the persons like the above, I have often heard the following phrase.
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幹部や上司から、
From executive officers or bosses, I have been said
「『それ、人工知能じゃなくてプログラムでしょ』
"It is not AI but just a program isn't ?"
と言われる」
と。
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幹部や上司が、この程度の知見で、AI技術の適用を命じているのだとしたら、その会社の前途は真っ暗です。
If executives and bosses are ordering the application of AI technology with this knowledge, the company's future is completely dark.
そもそも、
First of all,
■人工知能はプログラムです。
- Artificial Intelligence is a program.
■プログラムでない人工知能は存在しません。
- There is no artificial intelligence which is not a program.
もちろん、iPS細胞や、クローンから作る人工知能が登場すれば、上記の発言は撤回してもいいです。
Of course, when new AI technologies made by iPS cells or clones, appear ,I will withdraw the above remarks.
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そもそも、現在の人工知能とやらで語られる、機械学習やら、知識獲得やらは、自動チューニング技術、または電子辞書の用語追加の自動化程度のものです。
In the first place, to talk with current artificial intelligence, Machine learning and knowledge acquisition are almost "automated" tuning technology, or addition function of electronic dictionary.
その考え方や手法は、20年以上もまえから存在するもので、現在のAI技術にあっても、それを超えるようなものは存在しません。
The idea and method existed for more than 20 years ago, and there is no current AI technology beyond them.
しかし、その一方で、例えば、99.6%を100%に限りなく近付ける為に、毎日を生屍と化ししながら、AI技術と奮闘しているエンジニアたちがいます。
However, on the other hand, there are engineers struggling with AI technology. They becomes living dead every day, and try somethings, for example, in order to realize a possibility from 99.6% to 100%.
実際、私は、毎日、そのような人たちに囲まれて、過しています。
Indeed, I am surrounded by such people everyday.
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―― そろそろいい加減にしろよ、不勉強な幹部や上司たち
"Come on, ignoramus and unscrupulous executives and bosses."
―― お前たちの「お花畑の『人工知能』幻想」で、現場のエンジニアの心を折るんじゃねえ
"Do not break the hearts of engineers by your "Flower field Artificial intelligence "fantasy"" in you brain"
と、私は、この25年間、ずっと言いたかったのです。
I have wanted to say that for the last 25 years.
私は、色々なものを「自作」するのが好きです。
I like making something by myself" that is called "DIY".
「創作が好き」というよりは、根が「ケチ」だからです。
The reason is that I am a hunks rather than a creator.
私の「自作」へのこだわりは、『既製品より圧倒的に安い』ことを実現した満足感が、大部分を支配しています。
The main reason of the persistence of "DIY" is for a satisfaction that I can save money.
例えば、私、合板ベニア板一枚980円で、パソコンデスクを作ってしまいますし、自宅のLANシステムも自分で敷設します(業者に頼めば、数万円)。家中の各部屋にある棚も、全部、私が設置しました。
For example, I can make a PC desk by one cheap veneer board, and install local area network at home by myself. All of racks in my house were made by me.
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ところで、
By the way.
最近、Raspberry PIに搭載できる、EtherCATのスレーブ用基盤が、6000円で売っているのを知りました。
Recently, I know that EtherCAT slave base which can be installed in Raspberry PI is sold for 6000 yen.
―― 欧州のどっかの国で
at a country in Europe
欧州であろうが、どこであろうが、欲しいものは欲しいので、早速購入しようとしたのですが、Shipping Cost(輸送費)込みで、24000円になることが分かり、断念しました。
No matter where it is sold, of course, I want to get it. However the total cost (including shipping) become more than 24,000 Yen. So I had to give up.
試しに、会社の見積システムで調べても、やっぱり24000円くらいになりました。
I also tried to check the cost by my company system, the price come to be same.
私は、Raspberry PIを使ったハンドメイドのEtherCATのスレーブを自作したいのに、―― 普通のEtherCATのスレーブの方が安くて、どーする。
I hope that I want to make the cheapest EtherCAT slaves, based on Raspberry PI by DIY, But this is meaningless for this cost.
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今からでも、ハードウェアの勉強から始めれば、スレーブモジュールも作れなくはない(多分)のでしょうが ―― 私は、ハードウェアの設計や製作が面倒で、ソフトウェアに逃げた、電気工学の学生でしたから。
Of course, If I start to study about the hardware design and production now, I will make it. However, I had run away from the hardware technologies because the design and trial was always annoying me when I was a college student.
まあ、このこの考え方は、あながち間違っていなかったとは思っています。
Well, I think that this though was not wrong.
マイコンICのパフォーマンアップで、多くの技術はソフトウェア(ファームやカーネル)で実現できるようになってきたからです。
Thanks to enormous performance of microcomputer IC, many technologies has been realize by software(like farm ware and operating system)
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しかし ―― EtherCATは、究極のリアルタイム通信、「ゼロバッファ」方式を実施しているものです。
However, EtherCAT realizes "Zero buffer transmission" which is ultimate realtime communication
ソフトウェアでどんなにがんばろうとも、ハードウェアが実現できないものは、どうしたって実現できるものではありません。
No matter how hard it can be done with software, software cannot realize beyond the performance of hardware.
私は、色々なものを「自作」するのが好きですが、その「自作」の為のコスト(勉強、試作、製造、テスト時間などを含む)が、市販品の100倍以上にもなるなら、本末転倒もいいところです。
I like "DIY" for everything, however, the cost for "DIY" is more than a thousand times than commercial products. it will get my priorities wrong.
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という訳で、(個人での活動に固執する私としては大変珍しいのですが)ラズパイ用のEtherCATのスレーブ基盤を自作した(い)という人 ―― いませんか?
So, (this is very rare for myself because I adhere to individual activities, however) is there anyone who made your own EtherCAT slave for Raspberry PI?
私と組みましょう。
Let's join me.
成果の発表の場も、ご紹介できると思います ―― 多分
I think that I can introduce the place for presenting the results - probably
娘が、友人と、お隣の国(半島)の首都に旅行に出かけて、先日帰国しました。
My daughter went on a trip with her friend to the capital of the neighboring country (peninsula), and she came back to Japan the other day.
見るものが珍しくて、食べ物が美味しくて、少しだけ現地の言葉を使って、旅行中、親切にして貰ったそうです。
She said that everything was unusual, the foods were delicious, trying to use a little local language, and the local people were kind during the trip.
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最近の私は、お隣の国の情報を、Googleかテレビのニュースでしか見ていません。
Recently I have been watching information on my neighbor's country only on Google or TV news.
意図せずとも、そのようなニュース媒体でしか世界を知ることのできない私たちは、―― 心理的な狭窄視野 ―― になってしまいます。
Without intention, we, who can only know the world with such news media - become a psychological narrowing view.
自分の意思によって行動しない限り、誰もがこの「狭窄視野」になります。
As long as we do not act according to our own intention, we becomes this "narrowing view".
故に、社会人となり、そして年寄りになればなるほど、この傾向が顕著になります。
Therefore, the more social and the older we become, the more pronounced this trend will be.
フットワークが悪くなるからです。
It is because our footwork becomes bad.
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だから、私は、大真面目に、若い人(特に社会人になる前の学生さん)に期待しています。
That is why I look forward to a young person (especially a student before becoming a society), seriously.
頭脳や知性の優劣なんかよりも、フットワークの軽さや、異国の空気を肌で感じられる人間が、たくさん必要になると思います。
I think that a lot of human beings who can feel the light footwork and foreign air by the skin will be necessary, than the superiority or brains of brains and intellect.
なにも「世界を歩いてこい」などと、説教じみたことは言いません。
I do not say anything preaching, "You are walking around the world"
私は、「少しでも、ちょっとでもいいから、ここ(日本)から離れる」ことを提案します。
I'd propose "to leave here (Japan), even if a little".
そして、それ以上の要求はしません。
And I will not make any further requests.
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部屋の中や電車の中で、パソコンやスマホを使ってネットニュースを読んで、それを簡単に受けいれて、それを自分の都合の良いように自分の心の中で改竄(かいざん)する ――
In the room or on the train, just reading the net news using a personal computer or smartphone, accepting them without questions, and tampering with it in your own mind as convenient for you -
そんなことは、
For such a thing,
■頭が衰え、
Intelligence declines
■体の自由が効かなくなり、
- body does not move freely,
■新しいパラダイムを受け入れることができなくなり、
- heart can not accept the new paradigm,
■すっかり柔軟性を失った
- spirit totally lost flexibility
『私たち』に任せておけばいいのです。
You should leave the above to us.
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しかし、『あなたたち』が、『私たち』と同じ方向を向く必要はありません。
However, "you" do not have to face the same direction as "we".
なぜなら、いずれは、『あなたたち』も、頭が衰え、体の自由が効かなくなり、新しいコンセプトを受け入れなくなる ――
Because you will also lose intelligence, healthy body and accepting a new concept.
若いあなたにも、その時は必ずやってくる。
Even if you are young, the time surely comes.
でも、それは、今じゃない。
But it is not now.
Googleかテレビのニュースなどではない、自分の目と耳と肌で何かを感じてきて、「それ」を、私たちに伝えて欲しいのです。
I would like you to feel something with your eyes, ears and skin, and tell us "it", not using Google or television news, and
「それ」は、良いものでも、悪いものでも、憎悪でも、親愛でも、あるいは「何の感慨もない」でも、なんだって構いません。
"It" does not matter whatever is good, bad, hatred, dear, or "I do not feel anything".
私からの、心の底からのお願いです。
It is a request from the bottom of my heart from me.
今の「私たち」には、「あなたたち」の「それ」が、本当に必要なのです。
"It" of yours, is really necessary for "us".
現在、世界中で新型ウィルス性の疾患の感染が拡大中です。
Currently, a new viral diseases is spreading worldwide.
今回、感染が拡大したのは不幸なことです。
It is unfortunate that the infection has spread this time.
しかし、このウィルスが「空気感染」でなかったことは、幸運なことです。
However, fortunately, that the virus was not an "airborne infection".
今回のウィルスは「飛沫感染」であり、マスクや手洗いで、感染予防が可能だからです。
The virus this time is a "splash infection", and it is possible to prevent infection by masking and hand washing.
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現時点で、もはや「感染源の追跡」よりも、「感染拡大の防止」フェーズに入っていることは、素人の私でも分かります。
At the moment, I understand, even I am amateurs that starting in the Prevent Spread phase, rather than tracking the source,
つまり、想定すべき感染源は、自分以外の他人(家族を含む)全員です。
In other words, the expected source of infection is everyone other than yourself (including family members).
私、不思議なんですけど、なんで政府行政の会議のニュースで、
I'm wondering why in the news of the government administration meeting,
―― 出席者のほとんどがマスクをしていない
"Most of the attendees are not masked"
ということに、物凄い違和感を感じるのは、私だけですか?
So is it only me who feels awful?
そもそも、「首相がインタビューに応じるなら、マスクしていなければダメだろう」と思います。
In the first place, "If the prime minister responds to the interview, he must not speak anything without masking."
『マスクなしで頑張る』と発言した政治家には、その知能の低さに、目が眩みそうになりました。
A politician who said, "I'll do my best without a mask," made e dazzled by his low intelligence.
『いわゆる政治家ジョークだろう』とは信じています。
I believe it's a so-called politician joke.
しかし、基本的に、「感染」「発病」「潜伏期間」の3つの概念を理解している人なら、絶対にこの手のジョークは言えないはずなのです。
But basically, anyone who understands the three concepts of "infection," "sickness," and "latency", should never be able to say this kind of joke.
仮に冗談だとしても、その冗談のセンスや使い方やタイミングに関して、『絶望的に低能』と断言できるのです。
Even if it is the joke, I can assert that it is "desperately incompetent" regarding the sense, usage, and timing of the joke.
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一つ提案があります。
I have one suggestion.
―― 故 小松左京先生原作の映画、「復活の日」をテレビ放送する
How about broadcasting "Virus" on TV, that is the movie based on the late Sakyo Komatsu-sensei,
というのはどうでしょうか。
- 私達が、この映画に登場する細菌兵器"MM88"に遭遇しなかったことが、本当にラッキーであったこと
- We were really lucky that we did not encounter the bacterial weapon "MM88" in this movie
- 今回の疾患が、「マスク」「手洗い」「うがい」で十分に効果を発揮すること
- We can have a effective methods against this disease by "mask", "hand washing" and "gargle"
などを、正しく理解して貰い、
And so on, to understand correctly,
- 明日、あなたや私が感染しても、何の不思議もないこと
- No wonder if you or I get infected tomorrow
- その場合の対応を、予め頭の中でシミュレーションしておくこと
- Simulating the response in that case in advance in your head
ということに資するのではないか、と思っています。
For these activities, the movie mighe be useful.
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と言いつつ、
However, I am afraid, that
―― 「復活の日」の地上波放送は、無理だろう
"Impossible to broadcast the movie "Virus" on TV"
と、私でも思います。
上記のメリットよりも、国内がパニックになる可能性の方が高いでしょう。
It is more likely that the country will panic than the benefits mentioned above.
私達のほとんどは、「核分裂」と「核融合」と同程度に、「細菌性疾患」と「ウィルス性疾患」、「飛沫感染」と「空気感染」の違いを認識できていません。
Most of us are not as aware of the difference between "bacterial disease" and "viral disease" and "droplet infection" and "airborne infection" as much as "fission" and "fusion".
というか、(私が記憶している限りでは)そもそも、私達、そういう教育を受けていません。
Or rather, as far as I can remember, we don't have that kind of education in the first place.
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まあ、このような緊急事態の場合は、国民は適度に無知な方が、統治者は運用がラク ―― というのは事実なのでしょう。
Well, in such an emergency, it is true that the people are reasonably ignorant and the rulers are easier to operate.
実際に、そういう方針で政府を運営してきた国と、運営中の国を、私は沢山知っています。
In fact, I know a lot of countries that have run the government with such a policy.
私のような仕事(シミュレーション、通信プログラムの作成)になると、パソコン(PC)のリソースを極限まで使うことがあります。
About my works (creating simulations, communication programs), I sometimes use the resources of my personal computer (PC) to the limit.
極限を超えると、アプリケーションは止まり、PCがフリーズします。
When the limit is exceeded, the application will stop and the PC will freeze.
そもそも、WindowsやLinuxのオペレーティングシステム(OS)は、このような事態が発生しないように、コンピュータのリソース管理を行うのですが、私たちの仕事は、OSのコントロールを超えたところにまで及ぶことがあります。
In the first place, the Windows and Linux operating systems (OS) manage the resources of the computer to prevent this from happening, but our work can extend beyond the control of the OS.
そのような状態になると、これまでの仕事が全部オジャンになりますので、避けなければなりません。
All the work I have done so far will disappear, so I must avoid such a situation.
つまり、PCの世界の中を、OS任せにしないで、自ら管理・制御することが必要になる(ことがある)のです。
In other words, it is (sometimes) necessary to manage and control the inside of the PC world by myself, without leaving it to the OS.
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私がPCに向かっている時、それは、一人であり、「究極のボッチ」である ―― かのように見えます。
When I'm at my computer, it seems that I am a lonely and un "ultimate isolation".
しかし、複数のタスクを一つもダウンさせることなく、同時にコントロールする「最強のリア充」である ―― とも言えます。
However, it can be said that it is the "sociable person" that controls multiple tasks at the same time without downing any one of them.
つまり、自分がどう見えるか、人から自分がどう見えているか、それは、つまるところ相対的なものである、ということです。
In other words, how you look, and how others see you, is ultimately relative.
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『陽気で外交的でリーダーシップが取れるという人間』 ―― これを「陽キャ」というそうですが、
"A person who is cheerful, diplomatic, and capable of leadership" -- this is called a "cheerful".
これは長い間 ―― 少なくとも、私がティーンだった時代から、「陽キャ」は不動の価値観として君臨し続けてきました。
This has been the case for a long time -- at least since the days when I was a teenager, and "cheerful" has continued to reign as a steadfast value.
この反意語として「根暗」「陰気」「ネガティブ」「陰キャ」という形容句が、人の蔑む言葉として濫用されてきました。
As antonyms, adjectives such as "dark-hearted," "gloomy," "negative," and "nerd" have been abused as derogatory terms for people.
ただ、このような「陽キャ」と「陰キャ」という対立構造は、ネットというバーチャル空間の乱入によって、以前のように対比できなくなっているように思います。
However, I think that this structure of opposition between "cheerful" and "nerd" can no longer be contrasted as it used to be due to the intrusion of the virtual space of the Internet.
なんと言えばいいのですかね ―― ちょっとまだ上手く言語化できないのですが、敢えていうのであれば「上手」「下手」って感じでしょうか。
I don't know how to put it into words, but if I had to, I'd say "good" and "bad".
(To be continued)
私の会社では、毎週のように、業務災害や交通事故について、詳細な報告が行われます。
At my company, detailed reports are given every week about work-related accidents and traffic accidents.
もちろん、多くの人にとっては、このような話は「聞き流す」ものだと思うのですが ―― さすがに、これが何十年も続くと「安全意識」が叩き込まれてしまいます。
Of course, for many people, this kind of talk is "overheard" -- as expected, after decades of this, "safety awareness" is drummed into them.
他の会社の人が聞きたら、『江端が勤務している会社は、"安全"に関して集団ヒステリーでも起こしているんじゃないのか』と、疑われているのじゃないかと、と心配になるほどです。
If someone from another company were to ask me, I would be worried that they would suspect that the company Ebata works for is experiencing mass hysteria over safety.
『洗脳』といっても良いレベルかもしれませんが ―― 「良い洗脳」だと思います。
It's not an exaggeration to call it "brainwashing", however it is a good "brainwashing"
「安全」は、絶対的正義だからです。
Because "safety" is absolute justice.
安全にかかるコストは決して安くありませんが、それでも「事故発生」の対応コストに比べれば、圧倒的に「安い」です。
The cost of safety is not cheap, but it is still overwhelmingly "cheap" compared to the cost of responding to an "accident".
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問題は、この安全意識に関する『洗脳』が、他の部分でも発揮されてしまうことです。
The problem is that this 'brainwashing' about safety awareness can play out in other areas as well.
電気配線、ストーブ前の荷物、その他整理整頓に関しての安全意識が、自宅で発揮されると『家族にウザがられます』。
My family gets annoyed when I show my safety awareness about electrical wiring, stuff in front of the stove, and other tidiness in my home.
町内会では、ヘルメットや防護靴などの着想しないで、夏祭の櫓の設営作業しているところなどを見ていると、イライラします。
It's frustrating to see people in the neighborhood association working on setting up the turrets for the summer festival without wearing helmets or protective shoes.
まあ、「洗脳の弊害」というやつです。
Well, it's called "the evil of brainwashing'.
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ですから、社内での死亡事故などの報告がされると、私は、本当に「ショック」を受けます。
Therefore, I am really "shocked" when I hear reports of fatal accidents within the company.
で、最近気になっているのは、この「私のショック」が、他の社員と共感できているのか、ということです。
So, what I've been wondering lately is whether this "shock of mine" is something I can share with other employees.
私、この『洗脳』だけは、次世代に繋げていく価値があると信じているので、とても心配しています。
I am very worried about this "brainwashing" because I believe it is the only thing worth passing on to the next generation.
In March, I have been instructed by my supervisor to have three lecture sessions for university students.
I had a variety of ideas, but I thought, well, "'AI' would be popular these days," I replied to the professor.
―― で、今、講義の準備に頭を抱えています。
Now, the "preparation for lectures" is giving me a headache.
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講義だけなら、1時間程度くらい、デタラメな英語をしゃべる続けることはできると思うのです。
I think I can keep speaking bullshit English for about an hour of the lecture.
That training was completed 20 years ago.
問題は「練習問題」です。
The problem is "practice problems".
AIというのは、基本的には『コンピュータプログラムを使った、暴力的な力まかせの計算の強行』です。
AI is basically 'violent forced computation' using computer programs.
―― プログラミングを知らない学生に、「座学」で「手計算」で「計算用紙」を使って、AIの計算プロセスを練習させる
"How to have students who do not know programming practice the AI calculation process in a "classroom" setting, using "hand calculations" and "calculation paper"
これが、想像を絶するほど難しいのです。
This is unimaginably difficult.
正直、どこから手をつけたら良いのか分からない、という感じです。
Frankly, I don't know where to start.
加えて、『講義の時間がわずか1時間』という制約が、私を苦しめています。
In addition, the restriction of 'only one hour of lecture time' has been a pain for me.
例えば、ベイズ推論、ファジィ推論、それぞれのAI技術の解説に、最低「5時間」は欲しいのですが、現状、それぞれ15分しかありません。
For example, I would like at least "5 hours" to explain the AI techniques of Bayesian and fuzzy reasoning, but currently I have only 15 minutes each.
このまま講義に突入すれば、『想像を絶するほど、つまらない講義になるだろう』と予感しています。
I have a feeling that if I go into the lecture as it is, 'it will be the most boring lecture imaginable'.
という訳で、ここ数日、ずっと頭を抱え続けています。
This is why I have been keeping my head in the sand for the past few days.
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I think I understand a piece of "why math education can be so boring".
ここに至って、私は『数学教育を楽しいものにするには、少なくとも、今のコマの5~10倍以上の時間が必要だ』ということに、気がつきました。
It was here that I came to the realization that 'to make math education fun, we need at least five to ten times as much time as we have in our current frames.
以前、私は、あるAI技術を「占い」のパラダイムを使って説明したことがあります。
I once described an AI technology using the "divination" paradigm.
【新着連載】Over the AI ―― AIの向こう側に(9):へつらう人工知能 ~巧みな質問を繰り返して心の中をのぞき見るhttps://t.co/1r6Jo2PznJ pic.twitter.com/HlebKvu0b7
? EE Times Japan編集部 (@eetimes_jp) March 30, 2017
このコラムでは、
In this column, I concluded,
(1)「占い」という業務が、"占い師"と"占いにやってくる客"の二人の会話による、共同作業による創作活動である
(1) The business of "fortune-telling" is a collaborative creative activity based on a conversation between a "fortune-teller" and a "customer who is coming for a fortune-telling session.
(2)上記(1)において期待されるアウトプットとプロセスは「『占いにやってくる客が欲しい答』を導き出すことにある」
(2) In (1) above, the expected output and process "is to derive 'the answer that the customer coming the divination wants.
と、結論付けました。
まあ、この結論には、今なお、絶対の自信がありますので、文句のある人は、私に論争をふっかけて下さい。
I am still absolutely confident in this conclusion, so if anyone has a problem with it, please dispute it with me.
私は、テレビ番組などで、自称「占い師」が語っているところを見ると、即座にテレビの前から立ち去ります。
When I see a self-proclaimed "fortune teller" speaking on a TV program, I immediately walk away from the TV.
目が汚れ、耳が腐り、時間を奪われた(数秒であっても)、という気分になるからです。
It's because I feel like my eyes are dirty, my ears are rotten, and I've lost time (even if it's only for a few seconds).
しかしながら、私には、「こういう番組を『楽しい』と思う人の気持ちまでも、害する権利はない」と思っています ―― 特に、それが自分の家族であったりする場合などは。
However, I do not believe I have the right to "harm even the feelings of those who find these programs 'enjoyable' -- especially if they are my family members.
だから、こういう場面は「静かに立ち去る」が正解なのです。
So, the right thing to do in these situations is to "walk away quietly.
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On page 5 of the column introduced in this issue, I have compiled a table of past incidents that led to the "near extinction of the human race.
で、まあ、これ全部、ヒューマンエラーであり、AI技術とは関係ありません。
And, well, all of this is human error and has nothing to do with AI technology.
ところが、最近の私は、「AI技術」を無視できないところまで追いつけられた気持ちになっています。
Recently, however, I have felt that "AI technology" has caught up with me to the point where I cannot ignore it.
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ごぞんじの通り、最近の私は、ChatGPTやGitHub Copilotを使い倒しています。
As you know, I have been using ChatGPT and GitHub Copilot a lot lately.
で、その使い方は、まさしくCopilot(副操縦士)なのです。
And the way it is used is just like a Copilot.
相談を持ちかけて、その応答を受け、その内容の一部について、さらに議論をふっかけて、その回答を得て・・・という繰り返しを続けることによって ――
By offering advice, receiving a response, and then engaging in further discussion of some of the content, getting a response, and so forth, and so on and on...
―― 自分の中に潜んでいた思考が、言語化/具象化されて出現する
"Thoughts lurking inside I emerge as verbalized/embodied."
を、実現できているのです。
I can achieve the above.
重要なのは2つです。
Two important things are,
(1)AI技術がメインではなく、私のパートナーであること
(1) AI technology is not the main focus; it is my partner.
そして、
And,
(2)「繰り返し」を何度でも続けられること
(2) The ability to keep "repeating" as many times as possible.
です。
ChatGPTやGitHub Copilotは、どんなに長く使っても「疲れることがありません」(疲れるのは私だけ)。
ChatGPT and GitHub Copilot "never get tired" (I'm the only one who gets tired), no matter how long I use them.
もちろん、ChatGPTやGitHub Copilotも、20回以上もつっこんで議論していると、その論法が自己矛盾(というか「循環論法」)に陥いることがあります。
Of course, ChatGPT and GitHub Copilot can also be self-contradictory (or "circular argument") in their arguments after 20 or more times of poking and prodding.
で、この自己矛盾や循環論法は、(現時点では)ChatGPTやGitHub Copilotも自力で気がつくことができないようです。
This self-contradiction and circular argument seems (at the moment) to be something that ChatGPT and GitHub Copilot cannot even notice on their own.
これに気がつき、質問の内容や設定の背景を変えるなどして、議論の舞台を取り替えるのは、人間様である私の役目 ―― となっています(現時点では)。
It is up to me, the human being, to notice this and change the stage of the discussion by changing the content of the question or the background of the setting -- for now.
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私が何を言いたいかというと、
What I am trying to say is,
―― "AI"に人類を滅亡させる能力はないけど、人類を滅亡させるアプローチを、"人間"が、AIとの議論の中で見付け出す可能性は高まってきている
"AI" cannot destroy humanity, but it is increasingly likely that "humans" will find approaches to destroy humankind in discussions with AI."
ということを、私自身が『感じている』ということです。
This is what I 'feel'.
重要なのは、この上記のフレーズが、私が"ロジック"で導き出したものではなく、実際に、毎日生成AIと対峙しているこの私が"感じている"という点にあります。
What is essential is that the above phrase is not something I derived by "logic" but something I actually "feel" as I am confronted with AI daily.
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正直に言って、この現実は私にとって、かなり「不快」です。
Frankly, this reality is quite "uncomfortable" for me.
なぜ、不快と思うのか? ―― それは、"生成AI(ChatGPTとGitHub Copilot)"と"私"の関係が、私がバカにしくさっている、"占い師"と"占いにやってくる客"の関係と同じであるからです。
Why do I find it uncomfortable? -- It is because the relationship between the "generated AI (ChatGPT and GitHub Copilot)" and "I" is the same as the relationship between a "fortune teller" and a "fortune teller's customer," which I make fun of.
もちろん、その品性や意義においては、比較にならないほど「占い」の方が"下品"だと思っています。
Of course, I believe that fortune-telling is incomparably more "vulgar" in its character and significance.
しかし、それでも、関係性やアプローチに限定すれば、この2つは、"相似"では足りず、"合同"といっても過言ではない、と思えるのです。
However, even if we limit ourselves to the relationship and approach, I think it is not too much to say that the two are not "similar" but rather "joint."
違いは、信じる対象が「占い師」か「生成AI」だけです。
The only difference is that the object of belief is either a "fortune teller" or a "generative AI."
この事実は、今、私を、猛烈に不快な気分にさせています。
This fact now makes me feel intensely uncomfortable.