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2012-04-17 ネガティブデータ

ネガティブデータという言葉を御存じでしょうか。仮説を覆すデータのことで、簡単に言えば、失敗データです。

こういうデータが、下手をすると成功データよりも貴重であることは、その分野の当業者の方であれば、ご存知だと思います。

なにしろ、特許出願では、ネガティブデータを引例として、特許出願の拒絶ができるという考えもあるくらいです。

我が国にしたところで、打ち上げ費用だけで100億、ロケット本体の費用が1500億もかかるロケット発射に何度失敗し、そして、その失敗データが、どれだけ次のロケット開発に貢献してくれたか ――

その効果は図り知れないものがあります。

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『<北>がミサイル実験を「失敗」した』と繰り返し報道されていますが、開発者の観点から言えば、当然に必要なプロセスです。

『<北>がミサイル実験を「実施」した』という事実が問題なのです。ロケットが爆発するまでのデータは取得できたハズだからです。

私としては、『<北>が失敗を認めた』ということの方が、はるかに脅威に感じます。

彼等は正しい技術開発のアプローチを歩み出したのかもしれません。

このような正しいアプローチに基づく技術開発は、いずれ必ず成功するからです。


2013-04-17 「カニンガムの法則」の修正

カニンガムの法則というものがあるそうです。

「インターネット上で正しい答えを得る最善の方法は、質問することではない。間違った答えを投稿することだ」

これって、かなり真実だと思っていました。

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私は安全基準(SIL=Safety Integrity Level)に関するコラムを寄稿したことがありますが、そのSILの持つ数値の意味が、どーしても理解できませんでした。

インターネット検索や書籍でも、かなり良い時間をかけて調べたのですが、その数値の「意味」は判ったのですが、その数値の「意義」が全然分からなかったのです。

ですので、「エイヤ!」という感じで自分の解釈を出してみたのですが、これが「間違い」である旨の指摘を受けました。

その後、ちゃんとした説明を頂き、「ああ、こりゃダメだ。完全に私の解 釈が間違っている」と納得して、後程、その指摘して頂いた方と共著で、修正記事を記載させて頂きました。

ただ、指摘して頂いた解釈、私が知る限り、まだ、どこにも記載されていないの状態は事実のようです(一応、英語文献にも手を出しました)。

書籍調査レベルでは駄目で、現場の人でないと、その理解には至れないような「考え方」なのです。

「どの本からでも得られないような考え方を教えて貰えるとは、本当に助かるなぁ」

と。

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で、私は味をしめてしまった訳です。

「誤解の記事は、その後に正しく修正するのであれば、意味がある」、と。

修正のフィードバックがちゃんと機能する仕組みを作っておけば、誤った情報が修正されるサイクルができて、皆がハッピーになれるのだと、と。

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私は、批判のコメントをしてくる人の全てが、きちんとした信念と正しい知識を持っている、と信じていたのです。

今となって、「そうではない」ということも理解しております。

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カニンガムの法則も、追加修正が必要なのかもしれません。

「インターネット上で正しい答えを得る最善の方法は、間違った答えを投稿した上で、」

「正しい識者と出あえることを『祈ること』である」

と。


2014-04-17 私、こういうフリーダムな人、大好きです。

先日の朝の出社時、駅で電車を待っている列に並んでいたときのことです。

The other day, I got in line at the station during travel to or from work.

初老の男性が、列から離れて、プラットフォームの端の方に行き、鞄からゴソゴソとなにかのデバイスを取り出しました。

An elderly gentleman got out line, went to the edge of the platform, and picked some device up from his bag.

そして、後ろ向きのまま、うめき声を上げ始めました。

And he heaved a sigh of grief backward-looking posture,

―― 何だ? 

"What is he doing?

と思いながら、その男性の方をじっと見ていると、声を押さえながら、背中を丸めて、デバイスを握りながら、浪曲(だと思う)を歌っていました。

When I was watching him, he seemed to sing a song (Roukyoku?) with keeping his voice down, his shoulders hunched and grabbing the device.

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歌の練習でもされているのかな、と思ったのですが、駅のホームで練習とは、それはそれで結構フリーダムです。

I thought he tried lessons for singing. But it was too extreme to practice song at the platform.

あるいは、アマチュアまたはプロの作曲家で、気に入ったフレーズが浮かんだので、急いで録音していたのかもしれません(でも、プロという感じはしませんでしたが)。

On the second thought, I thought he might be an armature or a professional composer and he might thought out his favorite melody and record it into the device, thought I didn't feel that he was a composer.

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私、こういうフリーダムな人、大好きです。

I like such an extreme person very much.

「フリーダム」で常に批判されつづけている私には、こういう人の存在は、未来の私(老後の私)に勇気を与えてくれるからです。

I always draw criticism from many people, so the existence of this person does encourage me, especially for my old age.


2015-04-17 金なし、暇なし、コネなし、テクニカルライターの、ざっくり数字推定方法

本日はコンテンツをアップしたので、お休みです。

Today, I uploaded a content, so I took a day off.

BAYONET special seminar: No money, no time and no connection -- a technical writer's approximate calculation method

詳しくは、こちらを御参照下さい。

Please see the followings.

I will give a lecture this time with these contents (It's a panty, indeed).

"Well, please input the value 0.05 in the "Is Panty" column.


2016-04-17 私が白書に期待するのは、「数字だけは、潤沢に、正確に、キチンと記載されていること」だけです。

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

昨日記載した、「平成27年度 内閣府発行 『自殺対策白書』は、B3サイズのずっしりしたカラーの美しい本で、値段も2160(税込)とお安いです。

Yesterday, I wrote about "2015 the Cabinet Office issued" suicide countermeasures White Paper", which is a beautiful book of color and whose size is heavily B3 type.The price is also cheap, that is 2160yen (including tax) .

政府や官公庁が発行している本は、欲しいデータがたんまり入っていて、読んでいても楽しく(面倒なら、グラフと表だけを眺めていてもいいし)、大変お買い得だと思います。

The books, which the government and public offices have been issued, are always at bargain, I think. Because there are a lot of data I want to get, and I enjoy reading the books(just watching graphs and tables are good).

データの方も、各省庁のサイトからエクセルファイルで入手できるようになっていて、私のような研究員/ライターには至れりつくせりです。

The data of the book is available in some Excel files from the site of each ministry and agency. Anyway it is very helpful for me, as a researcher and writer.

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しかし、逆に言えば、この数値しか頼るものがない私達としては、この数字に「虚偽」が加えられた場合、手も足もでません。

However, conversely, even if the data contains "false", I don't do anything because there is nothing except for the numbers.

太平洋戦争の戦時中、大本営は虚偽の戦果を発表し、国民にニセのデータを与え、「国民による意思決定」という民主主義の大原則を踏み躙り続けてきました。

During the war of the Pacific War, the Imperial Headquarters announced a false veterans, and gave false data to the public, and they had continued trampled a large principle of democracy.

『自殺対策白書』のデータがデタラメだったら、私が今行っている分析は、全く無駄な行為になり、それだけでなく、デタラメな記事が世の中に出ていくことになります。

If the data of "suicide countermeasures White Paper" is bullshit, my analysis become a completely useless act, and the ridiculous article is going out to the world.

これは、相当に恐しいことだと、と思えます。

I think that this is considerably horrible.

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白書には、各種の予算の使用状況、施策の対応(効果)なども記載されていますが、私には興味がありません。

The white paper has a variety of budget usage, and has also been described some corresponding measures and effects, however I don't care of them at all.

私が白書に期待するのは、「数字だけは、潤沢に、正確に、キチンと記載されていること」だけです。

What I expect the white paper, is "the number has been described abundantly, exactly, and clarity.

どっちみち、数値以外は、ほとんど読んでいませんから。

Anyway I don't read any articles except for the numbers.


2017-04-17 ―― アーリアダプタの人は、一体、どのようなモチベーションで、アーリーアダプタをやっているんだろう

iPhoneの新型が登場するたびに、「購入しなきゃ」と言っている人がいるそうです。

A friend of my wife seems to say "I have to get it", whenever new type of iPhone is released.

私の回りにも、パソコンのマッキントッシュの新型が登場する度に、機種を購入していた人もいます。

Around me, a colleague tried to purchase new type of Macintosh as soon as possible.

このような方は、たしか、Early Adopter(初期採用者)、 だったか、Early Adapter(初期適合者)とか呼ばれていたと思いますが、

They are called "Early Adapter" as I recall, and I always think of them,

―― ありがたい

"Glory!"

と思っています。

私は、型落ちや、中古を、できるだけ安く購入して、その後、ちまちまと外部部品で性能を上げるという人間ですから。

I make a habit of getting old or used things, and adding several parts to get a good performance. Therefore I

-----

このような人がいないと、新製品から次の製品の開発費が回収できませんし、初期不良を発見することもできません。

Unless they are, the company, that has released a new product, cannot collect the development cost, and know initial defects.

また、そのような人のおかげで、その製品の使い方や、各種のトラブルシューティングが、ネットに蓄積されていくことは、本当に助かります。

Under the favor of them, many information, for example, how to use it, and how to recover from troubles, are going to be accumulated.

後からノロノロと追いついていく私は、安い値段で購入した後で、それらの膨大な情報を使うことができる訳です。

I am following something new slowly, and I can get it at any easy rate, and enormous information.

まさに、「ありがたい」の一言に尽きます。

In a word "Glory!" indeed.

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で、ふと思ったのですよ。

One day, I think of it.

―― アーリアダプタの人は、一体、どのようなモチベーションで、アーリーアダプタをやっているんだろう

"Why does early adapters make them the early adapters?"

と。

(続く)

(To be continued)


2018-04-17 ―― 特許庁長官と担当審査官を、特許庁の建屋ごと爆殺して、そのガレキの前で自決してみせる

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

エンジニアである私にとって、行政府と直接的に関わるところがあるとすれば、「特許庁」です。

A public office which I relates as an engineer, is the patent office.

特許庁は、優れた発明であれば、(出願人の能力と執念によっては)大企業でさえも倒産させる程の権力(特許権)を付与するところです。

The patent office gives patent rights, which can make even a big company bankrupt (if you have a prominent capability and persistence).

ですから、その運用は、高度な巨大精密工場のように、緻密かつ精緻であり、発明者や出願人と特許庁の、相互の絶対的信用関係なしには成り立ちません。

Therefore, the management works extreme precise and exhaustive, like a sophisticated giant factory, and the mutual absolute relationship of trust between patent applicants and the patent office should be indispensable.

間違っても、「公文章」である特許明細書(*)を、出願後に改竄することなどありえませんし、法律て認められた、補正、訂正の手続以外の手段では変更することができません。

Nobody can tamper with a patent application, as an official document, except for the special administrative procedure "compensation" or "correction".

(*)国家の管理下において公開される文章という意味では、公文章と解して良いと考える(江端解釈)

(*)I think that a patent application is equal to an official document, because it is going to be opened under the government control.

また、その変更の内容と経緯は、(法定期間の経過後)無条件かつ無制限に、国民だけでなく全世界の人間なら誰でも閲覧できる状態になっています。

And the administrative procedure should be opened to all people in the world without reservation and restriction.

そこには、特許庁の審査官、審判官、職員の「恣意」が入り込む余地は、全くありません。

Even if the are examiners hearing examiners and office staff, their arbitrariness should be prohibited rigidly.

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もし、この特許制度の運用を、権力者や、権力者に忖度するものによって、ひん曲げられたら、私は、

If persons in authority and adulators interfere with the management of patent system,

I have really a spirit that

―― 特許庁長官と担当審査官を、特許庁の建屋ごと爆殺して、そのガレキの前で自決してみせる

"I will kill Director-General of the Patent Office and the examiners in charge by a bomb with the office building , and also kill myself at the front of the rubble."

くらいの気概があります(本当)。

それくらい、私の中では、特許明細書 ―― という名の「公文章」は、神聖にして犯されざる、絶対的なものなのです。

In my mind, "patent application" as a official document, is sacred, unviolated and absolute object.

(続く)

(To be continued)


2019-04-17 『江端という変なライターが動いているようだ。こいつをつかって、我が社のメッセージを、世間に伝られるだろうか』

Before, in this serialization column, "human injury series" continued for nearly a year.

このコラムの連載中、私、東京私鉄の各社(大手6社くらい)にコンタクトをして、インタビューをお願いていました。

In the series, I contacted each company of Tokyo Private Railway (about 6 major companies) and asked for an interview.

こちらの提示した条件は、

The condition presented here is

■社名は開示しない

- I do not disclose company name

■現場で働いている人をインタビューさせて頂きたい

- I would like to interview a person who is working in the field

■原稿は、御社でチェック頂き、その後改変しない

- The manuscript will be checked by the company and will not be altered afterwards

でした。

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このインタビューの狙いは、2つ。

The aim of this interview is following two.

(1)江端の執筆したコラムの内容のチェック

(1) Checking the contents of the column Ebata wrote

私の元ネタは、(A)国土交通省に開示請求したデータと、(B)書籍と、(C)ネット情報だけで、「生の声」がありません。

My source materials were (A) data requested to be disclosed to the Ministry of Land, Infrastructure, Transport and Tourism, (B) books, and (C) the Internet information only, and there is no "raw voice".

ですので、私は、記載内容についてのレビューを貰いたいと思っていました。

So I wanted to get a review about the content.

(2)江端の知らない「人身事故」についての情報収集

(2) Gathering information on "personal injury" I do not know

なにしろ、私は、「人身事故によって遅延した電車による被害者」以上の立場になったことがありません。

After all, I have never been more than "a victim of a train delayed by personal injury."

事故処理(そのシステムを含む)を実施している方の、手続や、内心については、推測しかできません。

I could only guess about procedure and intention of person performing accident processing (including the system).

ですので、私とは異なる視点からのご意見を伺いたいと思っていました。

So I wanted to hear your opinion from a different point of view.

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メール、または、電話で、「ご辞退させて頂きたい」という返事が戻ってきました。

The reply "we want to decline" returned by email or phone.

―― まあ、そういうことになるだろうなぁ

"Well, it is natural"

とは思いました。

I think.

鉄道会社がこのインタビューに応じることで、得られるメリットが何もないからです。

Rail companies do not have any benefits to gain by responding to my interview.

むしろデメリットしかない、といっても良いでしょう。

Rather, it can be said that there was only a disadvantage.

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『江端という変なライターが動いているようだ。こいつをつかって、我が社のメッセージを、世間に伝られるだろうか』

"It seems that a strange writer whose name is Ebata is moving. Can we use him to convey our message to the world? "

と、そういう風に考えられる鉄道会社が一つくらいはあればいいなぁ、くらいには、と思ってはいたのですが。

And I hoped that there was only one railway company that could be considered that way.

まあ、仕方ないですね。

Well, it could not be helped.


2020-04-17 ―― 量子の振舞いの恐しさに比べたら、"UFO"も"幽霊"も"あの世"も、怖いものの数には入らない

量子コンピュータについて調べる上で、量子力学の基本を調べています。

I am studying the fundamentals of quantum mechanics when studying quantum computers.

結果として、

As a result,

―― 量子の振舞いの恐しさに比べたら、"UFO"も"幽霊"も"あの世"も、怖いものの数には入らない

"Compared to the fear of quantum behavior, neither "UFOs", "ghosts", or "the world" are in the number of scary things."

と、実感しています。

I feel that.

「量子の常識を超えた現象」については、色々な人や書籍から聞き及んでいますが、自分で調べることで、その恐怖を実感しています。

I have heard from various people and books about "phenomenon beyond the common sense of quantum", I feel the fear by doing my own research.

私たちの世界に対する理解は、まだ全然足りない ―― そう実感しながら、今も、調べ続けています。

Our world is not fully understood, while realizing that, I continue to investigate.


2021-04-17 それでも、保護者は、子どもより長い年月を生きているのですから、工夫を試み続けなければなりません。

子どもがお手伝いしたら、おこずかいを上げる ――

"To give money to children for helping out at home"

このテーマは、何度となく現われ、その度に、批判、非難されるテーマです。

This is a thesis that appears again and again, and each time it is criticized and condemned.

しかし、私、次女の中学受験の時に、おおっぴらに、このアプローチを使っていました。

However, I used this approach openly when I was preparing my second daughter for her junior high school entrance exam.

『日本史の年号とイベントのペア(500以上)を、何も見ずに、一文字も間違えずに、最後まで暗唱できたら、50円』

"She will receive 50 yen (coin), if she coudl recite Japanese history year/event pairs (500+) to the end without looking at anything and without making a single mistake"

というのを、毎日やっていました。

We did this every day.

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何も見ないで、天井の向きながら行うので、江端家では、この方式を「エア(air)」と呼んでいました。

The Ebata family called this method "air" because it was done without looking at anything and while facing the ceiling.

さらに、この方式を、理科、社会一般にも拡張しました。

We have also extended this method to science and social studies in general.

ともあれ、次女は無事、志望校に合格することができました。

Anyway, she was able to successfully pass the entrance exam to her school of choice.

(For more information, please see Yukari-san Project)

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次女にとっても、私にとっても、この"50円"は、"報酬"ではなく、50円玉という"トークン"だったのだと思います。

For my second daughter and me, the 50 yen was not a reward, but a token, a 50 yen coin.

この方法は、"50円"という金銭的な価値ではなく、その「金属トークンを集める」ということに(親子の両方が)意義を見い出せるようにするためのマインドセットです。

This method is a mindset that allows both parents and children to find meaning in collecting metal tokens, rather than the monetary value of 50 yen.

故に、私は、この方法は『お手伝いの対価としてのおこずかい』とは、意味が違うと思っています。

Therefore, I believe that this method is not the same as a "to give money to children for helping out at home"

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受験勉強は、誰にとっても、かったるくて、面倒くさいものです。

Studying for exams is a tedious process for anyone.

特に小学生に、大人のロジックは通用しません。

Especially for elementary school students, adult logic does not apply.

なぜなら、小学生は大人ではないからです。

This is because elementary school students are not adults.

ならば、保護者は、子どものマインドセットをする為に、色々な工夫を試みなければなりません。

Then, parents must try various ways to set the mindset of their children.

面倒くさいとは思いますし、その工夫の大半は、失敗します。

I know it's a hassle, and most of those will fail.

それでも、保護者は、子どもより長い年月を生きているのですから、工夫を試み続けなければなりません。

Nevertheless, parents live longer than their children, so they must continue to try their efforts.


2022-04-17 『娘を返せ! 妻を返せ! 家を返せ! 土地を返せ! 俺たちが、お前らに一体何をしたというんだ!! 答えろ! ○○(敵国の為政者)!!』

国際法違反の非戦闘員への攻撃の被害者であるウクライナの人の多くが、英語のインタビューに普通に応じているのを見て、驚いています。

I am surprised to watch many Ukrainians, victims of attacks on non-combatants in violation of international law, being interviewed normally in English.

非戦闘員である民間人が、(通訳を介さずに)自分の言葉で世界に主張できるかどうかは、情報戦において、物凄いインパクトがあると思うからです。

I believe that the ability of non-combatant civilians to assert their inhumanity to the world in their own words (without an interpreter) will have a tremendous impact in the information war.

我が国も、ウクライナと同様に、他国から侵略される可能性があります。

Our country, like Ukraine, could be invaded by another country.

# もっとも、我が国は、すでに国内に他国の軍事基地の駐留を許しているので、『侵略済み』とも言えますが、それはさておき。

# However, it could be said that our country has already been 'invaded' since we already allow other countries' military bases to be stationed in our country, but that is beside the point.

「侵略者の非道」を語る時に、世界に対して、事実上の世界言語である「英語」を使って語れるかどうかは、国防上、重要な事項ではないか、と思います。

When talking about the "atrocities of the aggressor," I think it is an important matter of national security to be able to speak to the world in English, the de facto world language.

However, the percentage of people in Japan who are literate in English is "4%" according to Ebata's estimate.

少ない。

Overwhelmingly low

英語のインタビューに対応できる日本人は、(私を含めて)は『いない』として考える方が良さそうです。

It would be better to assume that there are no Japanese (including me) who can handle an interview in English.

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今回の戦争では『情報戦のやり方』が変ってきているなぁ、と実感しています。

I feel that "the way of information warfare" is changing in this war.

これまでの情報戦は、国家政府のインテリジェンス(諜報機関)にる、プロパガンダやエスピオナージ(諜報活動)が中心でした。

Until now, information warfare has centered on propaganda and espionage by the intelligence agencies of national governments.

しかし、今回は、市井(しせい)の市民による、リアルタイム(あるいはライブ)の情報発信が、大きなインパクトになっていると思います。

This time, however, real-time (or live) information dissemination by citizens of the city has made a big impact.

戦争中の国際世論は勿論、戦後の戦争裁判の証拠が満載となる、という状況は、為政者に対してプレッシャーになると思います―― まあ、為政者にもよると思いますが。

I think that a situation where the evidence of the war trials after the war, not to mention international public opinion during the war, will be full of evidence, will put pressure on the rulers - well, it depends on the rulers, I guess.

(技術者としては、ブロックチェーン等を使った『証拠の保全と真正保証技術』が重要になってくるな、と思っています)

(As an engineer, I think "evidence preservation and authenticity assurance technology" using blockchain, etc. will become important.)

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「将来の侵略戦争に備えた英語の勉強」を、文部科学省が、英語教育の指導要領に書けるか、というと、ちょっと厳しいかな、とは思います。

It is a bit tough to say whether the Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology (MEXT) can write "studying English in preparation for future wars of aggression" into the guidelines for English education.

となると、現場の教師の裁量ってことになるかなぁ。

So I guess it would be the discretion of the teachers in the field.

『ヘイ、ナンシー。今日はどこに行くんだい』

'Hey, Nancy. Where are you going today?"'

『あら、ボブ。今日はトムとデートよ』

'Oh, my God, Bob. Tom and I have a date today'

という会話レッスンの代わりに、

Instead of these conversation lessons,

『娘を返せ! 妻を返せ! 家を返せ! 土地を返せ! 俺たちが、お前らに一体何をしたというんだ!! 答えろ! ○○(敵国の為政者)!!』

'Give me back my daughter! Give me back my wife! Give me back my house and our land! What the hell have we done to you people! Answer me! XXXXX(The Enemy statesmen)!'

というフレーズの丸暗記だけでも良いかと思います。

I think it would be good to just memorize these phrases.


2023-04-17 この多様性を理解するためには、私自身が『アイドルの追っかけ』に参入しなければならない、と。

私たちは、多様性を認めなければならない世界に生きていますが、多様性を個人が理解するというのは難しく、社会が認めるのはさらに難しいです。

We live in a world that must recognize diversity, but it is difficult for individuals to understand diversity, and even more difficult for society to recognize it.

マイノリティーの人々は、世間の無理解に対する根気強い、長期間(四半世紀から100年オーダ)の闘いが必要となります。

Minorities will need a persistent, long-term (quarter century to century order) struggle against public incomprehension.

しかし、個人が(×社会が)多様性を認める手っ取り早い方法があります。

However, there is a quick way for individuals (x society) to recognize diversity.

マイノリティの当事者になることです。

It is to be a minority party.

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仕事の出張帰りの新幹線の中、3席シートの通路側に座っていた時のことです。

I was sitting on the aisle side of a three-seat seat on the Shinkansen bullet train on my way home from a business trip.

窓際の席に座っている、私と同程度の年齢のごっつい風体の男性が、数枚のスナップ写真を熱心に見ていました。

A burly-looking man about my age, seated by the window, was looking intently at several snapshots.

私がトイレに立ったとき、たまたま、その写真が目に入りました。

When I stood up to use the restroom, I happened to see that picture.

それは、その男性とアイドルコスチュームで装ったティーン風の女の子が、笑顔で一緒に写っている写真でした。

It was a picture of the man and a teen-like girl dressed in an idol costume, smiling together.

女の子がアイドルコスチュームさえ着ていなければ、明らかに親子、という感じの写真でした。

If only the girls weren't wearing idol costumes, they were clearly parent and child.

『新幹線に乗って、アイドルを追っかけるおっさん』というのは、もはや珍しい存在ではありません ―― アニメとか小説の中では。

The "old man on a bullet train, chasing after idols" is no longer an uncommon existence -- in anime and novels in my mind.

しかし、現実に生身の人間を見ると、ちょっとビックリというかビビってしまう ―― これは、私の人間としての器の小ささと言えましょう。

However, when I see a live person in real life, I am a bit surprised or scared -- this is my small human capacity, I guess you could say.

アイドルとのツーショットのスナップ写真を眺める中年から初老の男性を、一月に1回見るくらいの頻度があれば、私も「引く」ことはなくなると思うのですが。

If I could see a middle-aged to early-aged man looking at snapshots of himself with his idols once a month, I would not "put off" as often.

しかし、それには、これからも長い時間が必要になるだろう、と思いました。

But it will take a long time from now, I thought.

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で、思ったんですよ。

And I thought that,

In order to understand this diversity, I have to enter the "idol chase" myself.

というわけで、一応、人生のToDoリストには入れているのですが、現時点では、そのリストの最下位くらいです。

So, in a nutshell, I have it on my to-do list for life, but at this point, it is about at the bottom of that list.


2024-04-17 つまり ―― 死刑執行の立ち会い

死刑執行の「当日告知」が、憲法違反かどうかが争われ、先日の判決で請求棄却されました(現在は一審判決)。

The issue of whether "same-day notice" of executions violates the Constitution was dismissed in a recent court decision (now in the first instance).

Regardless of the merits of this trial or the death penalty, I believe that one of the reasons why the death penalty is an "extreme punishment" is because of this "non-disclosure of the date of notification.

もちろん、「開示」したとしても、極刑は極刑です。

Of course, even with "disclosure," extreme punishment is extreme punishment.

例えば、『お前(江端)は、今日から10年後の2034年の4月17日に死ぬことが確定し、これは不可避である』と言われた場合、私は、これを「よかった」と思えるか、「いらんことを言いやがって」と思えるか、私自身にも分からないです。

For example, if someone said to me, 'You (Ebata) are confirmed to die on April 17, 2034, 10 years from today, and this is inevitable,' I don't know whether I would think this was a good thing or an unnecessary thing to say.

しかし、その『10年後』を努力によって延長したり、あるいは絶望によって短縮したりできる自由裁量 ―― これが死刑にはない。

But the discretion to extend that "10 years later" with effort or shorten it with despair -- is something the death penalty does not have.

『自分の死に方を、自分で選ぶ権利を、国家権力によって奪われる』というこの一点において、"死刑 = 極刑"であるというのが、私の意見です。

I think that the death penalty is an extreme punishment in that it deprives a person of the right to choose their way of death.

それはさておき。

Aside from that.

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死刑は、歴史的背景や犯罪抑止などの個人の見解を総合的に勘案した上で、(原則的には)私たちが「支持」している刑罰です。

The death penalty is a punishment that we "support" (in principle) after considering our personal views on the whole, including historical background and crime deterrence.

(同列に論じるのは乱暴ではありますが、例えば)同性婚が正式に認められるのは、時間の問題であろう、と思っています。

I believe that it is only a matter of time before same-sex marriages are officially recognized (although I think it is wild to put them in the same category).

司法の判決が、年々少しずつ変っているのが見えるからです。

We can confirm that the judiciary's rulings are changing gradually from year to year.

しかし、死刑制度に対する国民の感情は、原則として「死刑制度支持」だと、私は思っています。

However, I believe that, as a general rule, public sentiment is "in favor of the death penalty.

As far as I know, there are few court cases on the issue of "the death penalty is unconstitutional."

The issue is also generally "cruelty or not.

This ruling is the only court case I know of (that I am aware of) fighting the "system" itself. (Please let me know if there are any precedents I am missing.)

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しかしながら、私たちには、この制度が適正に行われているかどうかを、チェックする「義務」があると思っています。

However, we have a "duty" to check whether this system works well.

つまり、

Namely,

―― 死刑執行の立ち会い

"witnessing an execution."

です。

「裁判員制度」と同じ枠組み(*)で、「死刑執行の立ち会い制度」も設けるべきでしょう。

We should apply the same framework as the "jury system" (*) to the "system of witnessing executions.

(*)有権者からくじで選んで作成した名簿に基づいて通知され、正当な自体事由なければ、裁判員になるこことを拒否できない

(*)Notification is made based on a list drawn up by lottery from among the voters, and a person cannot refuse to be a judge without cause.

もちろん、この制度は、安易に導入すべきではなく、もし導入するのであれば、議論の限りを尽さなければならないとは思いますが ――

Of course, we should not install this system easily; if it does, we will have to discuss it in depth.

原理原則の行政論をするのであれば、「死刑執行の立ち会い制度」が『ない』というのは、大変奇妙な話なのです。

If we are to make an administrative argument of principle, it is extraordinary that there is no "system of witnessing executions."

なぜなら、これは「行政処理の開示」に該当するからです。

The above is because this falls under the "disclosure of administrative processing."

強制参加は、"さすがにちょっと"というのであれば、希望者による申請制度として運用すべきです。

If mandatory participation is "too much to ask," then the program should be operated as an application system for those who wish to participate.

(強制参加を命じられた人が、その恐怖で事故(自殺を含む)などおこしたら、大事件です)

(It would be a significant incident if a person who participates in the program caused an accident (including suicide) due to fear of being forced to participate.)

申請制度に関しては、厳しい審査(死刑に関する歴史的背景や司法、または行政処理のプロトコルの理解がされているか等のテスト)を必要とするのは当然です。

As for the application system, it is evident that it requires a rigorous examination (tests such as whether the historical background and judicial or administrative handling protocols regarding the death penalty are understood).

また、人権問題として、死刑被執行者による、開示/非開示の許諾も、当然に必要でしょう。

In addition, as a matter of human rights, permission for disclosure/non-disclosure by the person executed would naturally be required.

これをさらに考えると、犯罪被害者の遺族は、死刑被執行者の許諾を得ずに、立ち会いの権利が生じるか?、なども考える必要があるでしょう。

To consider this further, does the bereaved family of a crime victim have the right to be present without the permission of the person executed? And so on, need to be considered.

(今さらながら、私、この観点を見過していました。例えば、確定死刑の後、戸籍や住民票の取り扱いはどうなるんだろう、とかいう、かなり卑近なことも含めて(さらには、再審請求で、判決がひっくり返ったら?とか))

(Now that you mention it, I had overlooked this point of view. For example, what happens to the family register and certificate of residence after a definite death sentence, and other relatively trivial matters (and what happens if a request for a retrial overturns the sentence? and so on))

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ちなみに、もし、この制度が設立されれば、私は申請します。

By the way, I will apply to this program as soon as it starts.

私は、この社会を、私自身の「血塗られた手」によって維持している ―― という自覚があり、それを肯定します。

I am aware that I am maintaining this society by my own "bloody hands" -- and I affirm that.

それゆえ、私は、私の「血塗られた手」を、抽象ではなく、具象として、自分の目で見届ける義務がある、と思っています。

Therefore, I believe that I am obligated to watch my "bloody hand" with my own eyes, not as an abstraction but as a concrete object.